« ことばと生活と新聞と(53) | トップページ | ことばと生活と新聞と(55) »

2020年4月15日 (水)

ことばと生活と新聞と(54)

翻訳の言葉


 映画の字幕は1行14文字、1秒4文字が目安だそうです。こんな記事を読みました。

 「『確固たる経験を持ってる』」 → 「『経験がとても豊富なの』などこなれた訳に」
 「『絶対にどこかにいる』」 → 「(もっと)臨場感を」→「『消えるなんてあり得ねえ』はいかがでしょう」
 東北新社の字幕課で昨年10月、こんなやり取りがメールで飛び交った。同社配給のフランス映画「レ・ミゼラブル」について宮坂愛さん(42)が訳した字幕に、字幕演出を担う高橋澄課長(47)が磨きをかけていく。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2020年3月9日・朝刊、13版、26ページ、「at work 映画配給」、藤えりか)

 映画は芸術作品です。物語の流れの中で、適切な言葉を選んで翻訳し、字幕を作る人たちの苦労がわかるように思います。
 私たちは、日常生活の中で翻訳の恩恵を受けています。書物などの翻訳は、翻訳者の個性が出て、全体の色合いに影響することがあるでしょうが、それは大きな魅力です。
 日常生活の中で受けている恩恵は、新聞や放送のニュースなどに出てくる言葉の翻訳です。ニュースと映画などとの大きな違いは、客観報道と芸術作品との違いです。
 テレビのニュースを見ていて、ときどき気になることがあります。くだけた話し言葉のような翻訳を見ると、本当にそのように言ったのかなと疑問を抱くことがあります。「(相手は)わかっちゃいないはずだよ」というような字幕が出ると、「(相手は)わかっているはずはありません」という言葉とは同じような内容のことを言っていても、その言葉を発した本人の気持ちは同じではないと思うのです。ときどき、違和感のある翻訳に出会いますが、ニュースなどの場合は、話している本人の気持ちに沿った翻訳をしてほしいと思います。
 別のことを申します。翻訳に日本語で使われる故事成語のようなものが使われることがあります。画面に出ている外国人は、その故事成語に当たる表現を本当にしたのだろうかと思うことがあります。翻訳する人が故事成語に飛びついて、厳密さを欠きながらも選んだ言葉ではないのかと思うことがあります。「一石二鳥」とか「三鳥」とかの言葉や、「立つ鳥跡を濁さず」とかの言葉が現れたりすると、ほんとうに日本人と同じような感覚で発した言葉であったのだろうかと首を傾げることがあります。
 新聞記事の場合は、なまなましい本人の姿が現れませんから、読者が判断をする要素が減っているのですが、やはり正確な翻訳をお願いしたいと思うのです。

|

« ことばと生活と新聞と(53) | トップページ | ことばと生活と新聞と(55) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« ことばと生活と新聞と(53) | トップページ | ことばと生活と新聞と(55) »