« ことばと生活と新聞と(42) | トップページ | ことばと生活と新聞と(44) »

2020年4月 4日 (土)

ことばと生活と新聞と(43)

「数」は、どういう数字を表すか


 1度ならず2度にわたって、すなわち二重に驚いたことがあります。数分とか数日とかいう場合の「数」という言葉についてです。
 まず、こんな文章で驚きました。

 五歳になる息子から「数時間って何時間」という質問を受けた。
考えたこともなかったが、ここは人生の先輩として、明快な答えを出したいと思った。で、「三時間」と答えた。
 誰かに「数時間後にもう一度来てください」と言われたとする。それは決して「一時間後」ではない。一時間後に行ったらたぶん「早い!」と言われる。「数時間」なのだから最短でも「二時間後」。だが「二時間」でもない気がする。それなら相手は「二時間後」とはっきり明示するはず。十時間以上でもない。十時間を超えるとそれは「数時間」ではなく「十数時間」。となると三時間から九時間の間。そう考えていくと四時間でもないように思えてきた。「数時間」にはもう少し短いイメージがある。 …(中略)… 感覚的な考察によって、僕は「数時間」を「三時間」と定めた。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2020年2月27日・夕刊、3版、4ページ、「三谷幸喜のありふれた生活」)

 驚いたというのは、私にとって「数時間」は「三時間」ではないからです。小学校の時代か中学校の時代か、定かではありません。父母に教えられたのか、学校で教えられたのか、本で読んだのか、まったく記憶はありません。けれども、私の頭の中にしっかりと刻印されているのは、「数時間」は5時間前後、「数日間」は5日前後、ということです。「数」は5という数字とその前後を指すということです。詳しく言うと、「数日間」は4日間・5日間・6日間のいずれかです。3日間や7日間が「数日間」になったりしません。「千数百年間」というと、1400年間から1600年間のあたりを指すということです。そして、私は「数」という言葉をそういう意味で使い、他の人の言葉をそういう意味で理解してきました。10歳前後の頃から「数十年」以上経った現在まで、そういう理解で、他の人との間で何の行き違いも生じなかったと思っているのです。
 だから、上に引用した文章を読んだとき、ずいぶん違和感を覚えたのです。
 そうなると、国語辞典の出番です。引いてみると、こんなふうに説明されていました。(他の説明は省いて、いま話題としている事柄についての説明の部分を引用します。)

『広辞苑・第4版』
 二~三あるいは五~六の少ない数を漠然と示す語。
『現代国語例解辞典・第2版』
 二、三か五、六ぐらいの数量を漠然という。
『三省堂国語辞典・第5版』
 三か四、五か六ぐらいの。
『明鏡国語辞典』
 三、四から五、六ほどのかずを表す。
『岩波国語辞典・第3版』
 三、四の。五、六の。
『新明解国語辞典・第4版』
 (説明が書かれていません。)

 国語辞典を見て驚いたのは、私の頭の中にあったものと一致するのがなかったいうことです。それは、私の頭の中が間違っていたということなのでしょうが、驚くことは、どの辞典も数値を二分していることです。「三か四」と「五か六」と分けているのですが、それは結局は「三から六まで」ということではないのでしょうか。3と6では数値は2倍になります。それは数字としては広すぎないでしょうか。
 『広辞苑』と『現代国語例解辞典』は、「二~三」「五~六」として、4を省いているのですが、どんな意味があるのでしょうか。2と6では数値は3倍になります。あまりにも広すぎます。例えば「数世紀」は2世紀(200年)を意味したり、6世紀(600年)を意味したりしてしまいます。「数秒」や「数分」とは違って、あまりにも大きな差です。
 そんな場合はあいまいな表現を避けて「500年」などと表現すればよいのですが、けれども現実には「数世紀にわたって〇〇文化が栄えた」などという表現を見ることがあります。
 たぶん、この「数」という言葉の説明も、国語辞典の編纂者は、他の辞典がこのように説明しているから、自分たちの辞典も同じようにしておこうという寄りかかり合いをしているように感じられてなりません。
 私の感覚をもう一度、書いておきます。「数」という言葉には「二」や「三」という数字は含まれないということです。私が書くなら、「数」は「五を中心にして、その前後を含んだかず」ということです。

|

« ことばと生活と新聞と(42) | トップページ | ことばと生活と新聞と(44) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« ことばと生活と新聞と(42) | トップページ | ことばと生活と新聞と(44) »