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2020年4月24日 (金)

ことばと生活と新聞と(63)

「うまい」を連発するテレビ番組のこと


 戦後すぐの、ものの乏しい時代に育ったからか、私は食べ物には好き嫌いがありません。好き嫌いなどには関係なく、何でも食べないと生きられなかったからかもしれません。美味しい・不味いということにも、うるさくはありません。同世代の人であっても、私と同じでない人も多いと思いますが、ともかく私は、そういうことなのです。
 世の中には、不味いものには手をつけないという人がいます。美食家という言葉もあります。美食という言葉は、どのような人たちが言い出した言葉なのでしょうか。いつ頃から使われ始めた言葉なのでしょうか。そのような人たちは、何と不幸な人なのだろうと私は思っています。
 食べるのなら美味しいものを食べたいという気持ちはありますが、不味いから食べないという気持ちにはなりません。口にするものを限定してしまうのは、寂しいことであろうなぁと同情します。
 私は好き嫌いは言いませんが、好きな食べ物はあります。好きか食べ物をたくさん食べたいとは思いますが、あまり好きでないものは食べたくないとは思いません。栄養がどうのこうのという理由ではありません。
さて、私は、テレビの食べ物番組にはうんざりしています。料理の手ほどきをする番組は有り難いと思いますし、ドラマの一部分としての食事場面はあってもよいと思います。
 グルメ番組で、材料を厳選するという方針で作っている番組があって、腹立たしく思うことがあります。自分は良い材料で美味いものを作る、良くない材料は自分は使わないから、他の人が買えばよいと言っているように感じられます。自己本位の極まりです。どのような材料でも、それを生かして料理するコツを教えるのが、本当の料理番組です。
 グルメという言葉を国語辞典で引くと、食通、美食家、と出ています。うんざりするのは、いわゆるグルメ番組と言われるものの、食べている場面の言葉です。他の人が作ってくれた食べ物を食べて、褒め言葉を流し続ける番組のことです。営業している店で食べ物を食べ散らかして、「うまい!」と叫んでいる番組があります。口に放り込んだ瞬間に「うまい!」と叫ぶ人間の感覚はどうなっているのかと思います。味わうということが欠如してしまっています。語彙の貧弱さも情けないと思いますが、食べている本人の感想に関係なく、褒め言葉を口に出させるのです。そのような言葉を吐くように仕向けられているか、本人がそう言わなければならないと思い込んでいるかの、どらかでしょう。単純な反応をして、つまりは視聴者を欺いているのです。言葉の意味で言うと「グルメ=美食家」だから、そんな番組に出ている人間は美食家でなければならないから、自分を美味いものを食べている人間と規定して、「うまい」「うまい」と連発しているのかもしれません。
 元の話題に返ります。美味い・不味いは人間の感覚として大切なものですが、それを露骨に口に出すことは、抑えるべきです。作ってくれた人に感謝して「美味しかったです」と言うことは必要です。けれども、食べる瞬間ごとに「うまい」「うまい」と言うのは、よほど気心の通じた間柄、例えば家族とか親友とかの場合でしょう。テレビに出ている人間が、大勢の視聴者に向かって「うまい」「うまい」を連発するのは、人を馬鹿にしている行為です。わずか2つか3つの言葉しか持たないような人間を、食べ物という広さ・深さのある番組に出演させてはいけません。「うまい」という言葉を使わなくても、その食べ物の特性を表現できる言葉をそなえた人を出演させてほしいと思います。

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