« ことばと生活と新聞と(61) | トップページ | ことばと生活と新聞と(63) »

2020年4月23日 (木)

ことばと生活と新聞と(62)

旧語辞典を作るべき時


 向田邦子さんに「七味とんがらし」という文章があって、その冒頭にこんなことが書いてあります。

 野球狂の友人がいる。勤め先で野球チームを作ったのだが、予算が足りず、人数分のグローブやミットが揃わなかった。
 「本革」という言葉が幅を利かせていた随分前のはなしである。
 色も材質も違う寄せ集めのオンボロで練習をしていたのだが、試合を前にチームの一人が耳寄りなニュースを聞いてきた。
 (向田邦子『海苔と卵と朝めし』、河出書房新社、2018年12月30日発行、40ページ)

 「本革」という言葉は、昔は輝かしく聞こえた言葉でした。小さな国語辞典で「本革」を引いても出てきません。「本」当の「革」のことだから、わかるでしょうという理屈ですませるような言葉ではないと思います。「本革」という言葉の持つ、いわば特別のものであるというような語感が大事なのです。終戦後すぐの時代においては、布を重ねて作ったようなものとは違う、誇らしさに満ちた言葉でした。グローブやミットだけではありません。ランドセルやバッグにしても、本革のものと他のものとは値打ちが違いました。それを手にしたときの喜び・嬉しさは格別のものでした。
 『広辞苑・第4版』には「本革」は載っています。けれども、そっけなく「合成ではない、本物の革。」と書いてあるだけです。ちょっとがっかりです。今の時代にとってはそんな語感でよいのかもしれませんが、かつては違っていたのです。
 別の言葉で言いましょう。「物干し台」「物干し場」「物干し屋根」などというときの「物干し」という言葉は、小さな国語辞典にも載っています。洗濯物などを日に当てて干すこと、また、そのための設備・場所のことです。けれども、50年前の家の建て方と今とでは違っています。「物干し台」は、今の「ベランダ」とは様子が違います。
 流行語のように、さっと使われはじめて、すぐに消える言葉。それは消えるに任せておいてよいでしょう。けれども、日常生活の中で長い間にわたって使われ続けていた言葉を、それと同じように扱ってはいけません。「たどん(炭団)」や「いっしょうます(一升升)」などはかろうじて国語辞典に残っているかもしれませんが、いずれは消える運命にある言葉かも知れません。そのような言葉はたくさんあります。
 そんな言葉が消えたらどうなるでしょうか。古語辞典というものがありますが、いま話題にしている言葉は古語ではありません。死語辞典と題した本もありますが、死語とは言いたくない言葉です。ぴったりふさわしい言葉はありませんが、「旧語」とでも言うような言葉です。
 死語辞典などというものを興味のままに作ることもよかろうと思います。けれども旧語辞典は興味で作るものではありません。きちんとした文化として残すべきものであると思います。いま、大和言葉に注目した本が幾つも出ています。確かに大和言葉の中にも、消えてしまうのが惜しいと思うようなものがあります。けれども、もっと人々に生活と結びついていた言葉で、消えてしまいそうな言葉にも注目して、記録しておきたいと思います。
 物の名前に関わる言葉だけではありません。外来語などが氾濫して古い日本語が片隅に追いやられ、そして忘れ去られようとしている今こそ、「旧語辞典」を作るべき時であると思うのです。

|

« ことばと生活と新聞と(61) | トップページ | ことばと生活と新聞と(63) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« ことばと生活と新聞と(61) | トップページ | ことばと生活と新聞と(63) »