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2020年4月11日 (土)

ことばと生活と新聞と(50)

新聞におけるBPO


 この連載の(45)回と(46)回で、新聞の偏った記事のことを書きました。塾における指導を正統な教育であるかのように述べて、あおりたてるような内容でした。
 その後に、「これ、広告?番組? BPOがメス」という見出しの、こんな記事を読みました。

 放送内容に問題があったかどうかを調べる「放送倫理・番組向上機構」(BPO)放送倫理検証委員会が昨年10月に下したある決定が、「パンドラの箱を開けた」と放送界で話題になった。どういうことか。
 それは昨春に長野放送が放送した30分番組「働き方改革から始まる未来」だ。長野県内の社会保険労務士法人を取り上げたもので、同法人が制作会社に制作を依頼し、長野放送は完成VTRをそのまま放送した。 …(中略)…
 「放送なのか長尺の広告なのか」。視聴者の指摘を受けて調査した検証委は、番組はPR色が強いとして、「視聴者が広告放送であるとの疑いや誤解を抱くのも無理はない」と指摘した。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2020年4月8日・朝刊、13版S、26ページ、西村綾華)

 新聞界にBPOのような機構があるのかどうか知りません。けれども新聞記事は、きちんと検討してから紙面に出さなければなりません。
 仮にBPOに相当するようなものがなくても、新聞社内できちんと検討して、判断をすべきですが、そういうことが行われていないように感じます。記事の内容が正統なものであるかどうかを、社外の第三者に判断してもらうというのは情けないことです。社内で責任を持たなければなりません。私は朝日新聞社の校閲分野が弱いということを何度も書いてきましたが、教育に関する記事はとりわけ問題をはらんでいると思います。
 民放の場合は、仮にそのような番組であっても、納得せざるをえないとも思います。視聴料は無料です。新聞の場合は違います。購読料を取りながら、広告欄でないところの記事に、広告的要素が強ければ大きな問題です。
 (45)回と(46)回で取り上げた記事は、特定の塾などを宣伝するものではありません。けれども、その業界を賛美して、その業界の宣伝になっていることは言うまでもありません。そもそも、教育の亜流の位置にある受験産業に頼ることを勧めるような記事は、宣伝記事以外の何ものでもありません。月に2回、付録として配付される「EduA」の紙面は、業界の宣伝紙のような色合いになっています。
 教育に関する記事の執筆者として塾や私立学校の関係者を重んじていることはおかしいと思います。教育に関するニュース報道の場合も、塾や予備校の関係者などのコメントを多く載せています。新聞社と受験産業との癒着は相当強いように思います。それが「週刊朝日」の露骨な教育記事にも反映されているのでしょう。
 小学校・中学校・高等学校の教育の大部分は公立学校が担っています。そのことを忘れて、私立有名校、塾、予備校や、それを賛美する書き手(教育ジャーナリストなどという言葉を臆面もなく吐く人もいます)に傾斜していったのでは、新聞社の体面が保てないはずです。

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