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2020年6月 1日 (月)

ことばと生活と新聞と(101)

言い分けて使う言葉と、使い分けずに用いる言葉


 言葉は、それを使う人(表現者、話し手、書き手)から、それを受け取る人(理解者、聞き手、読み手)に正しく伝わらなければなりません。難しい言葉や知らない言葉がたくさん使われていたら、間違った受け取り方が生じてしまいます。言葉を使って表現する人は、それを受け取る人がいることを忘れて、自分勝手な表現をしてはいけません。
 日本語の文章の中に外来語を使うことは、現在では皆無にすることはできませんが、なるべく少なくするように努めてほしいと思います。私は、このブログでは、外来語をできるだけ少なく使うようにしています。ブログだけではなく、その他の場合も同様です。
 こんな文章を読みました。

 多くの読者の方から、一般的でないカタカナの外来語を、紙面で安易に使わないでほしい、との声が届きます。意味がわからないカタカナ語がたくさん載っている新聞を読むために、辞書が手放せない--こんなトラブルを避けるためにも、外来語を慎重に使いたいと考えています。
 悩ましいのは、専門用語や資料から引用した外来語表記をそのまま使うようなケース。その場合、例えば「クラスター(感染者集団)」と、後ろに説明を加えるなど、理解の助けになるよう工夫しています。
 一方、改めて説明するのが不要なほど日本に深く定着している外来語もあります。たとえば「いざこざ。紛争。事故」(岩波国語辞典)という意味で使われる、英語由来の外来語「トラブル」がその一つです。
 金愛蘭・日本大学准教授(日本語学)は、毎日新聞の記事を1950年からほぼ10年ごとにデータベース化し、外来語の使用実態を調べています。調査によると、トラブルという語は60年ごろから少しずつ現れ、80年以降急カーブを描いて登場する頻度が増えているそうです。
 また、当初は「個人間や組織間でのもめごと」を指すことが多かったのですが、近年は「機器のトラブル(故障)」「センター試験会場でのトラブル(混乱)」「お肌のトラブル(悩み)」など、意味や用法に広がりが見られると分析します。
 金さんは新聞報道で「事件」や「衝突」と端的に書くと、実際の出来事より強い印象を読者に与えるおそれがある、ともいいます。
 「それに対してトラブルは、事態がどんな段階にあっても使えるあいまいさが特徴。『深刻な事態や、そこにつながる可能性がある不正常な状態』を幅広く指すので、使い勝手が良く好んで使われるのでは」
 (朝日新聞・大阪本社発行、2020年5月16日・朝刊、13版S、11ページ、「ことばサプリ」、市原俊介)

 あまりにも気になることばかり書かれていましたので、全文を引用しました。このコラムの題目は「トラブル」という語になっています。そして見出しは「意味合いに幅 使い勝手よく」となっています。
 「使い勝手」とは、書き手・話し手の都合が優先されたような感じが強く出ています。読み手・聞き手のことも考えて、言葉は使わなければなりません。
 上の引用文のそれぞれの段落について、私が思ったことを書きます。
 第1段落の末尾にある「外来語を慎重に使いたい」というのは、この文章の筆者の考えとしては納得しますが、新聞の紙面は、まったく、そのようにはなっていません。校閲センターというのは、新聞の紙面全体に影響力を持つ部署かどうかはわかりませんが、記者たちを厳しく指導する姿勢を持たなければなりません。それが欠如していれば、外来語の氾濫に歯止めがかけられません。【このことについては、次回のブログで書くことにします。】
 第2段落に例示されている「クラスター(感染者集団)」という表記は、考え方を逆にしなければなりません。外来語を従属的に扱って、「感染者集団(クラスター)」とすべきでしょう。医療従事者や政治家たちが「クラスター」という言葉を使っていても、「感染者集団」(あるいは「感染集団」)という言葉で読者には伝わります。「クラスター」という言葉を使わないようにしても、伝達は成り立つでしょう。新聞社は一つ一つの言葉について、この言葉はなるべく使わないようにしようという姿勢(方針)がなければ、どんどん使い続けることになるでしょう。カタカナ語を使わなくても(日本語で表現しても)通じる場合は、カタカナ語を使わない方針を徹底すべきです。なお、「クラスター」は外来語とは言えません。飛び入りのカタカナ語に過ぎません。
 第3段落に例示されている「トラブル」は、確かに「改めて説明するのが不要なほど日本に深く定着している」と言えるでしょう。けれども、だから「トラブル」はどしどし使うべきだという姿勢にならないでください。「いざこざ」と言える場合は「いざこざ」を、「紛争」と言える場合は「紛争」を、「事故」と言える場合は「事故」を使ってください。その方がわかりやすい文章になるはずです。
 第4段落で述べられている、「80年以降急カーブを描いて登場する頻度が増えている」という実態は理解しますが、だから使用頻度をこれからも高めようという姿勢がよいわけではありません。外来語の使用を抑えようということもしなければ、日本語にカタカナ表記の言葉がますます増えていくことになるでしょう。
 第5段落に書かれているように、「トラブル」は「個人間や組織間でのもめごと」を指すことが多かった言葉です。悪印象の強い言葉でした。けれども現在の使い方は、あいまいさが強まっています。「機器のトラブル」は生産者側に問題があるのか、使用者の扱いがよくないのか、区別がつきません。「センター試験会場でのトラブル」という表現は、その原因・理由も確認しないで、記者が混乱の有無だけを記事に書いているような感じです。軽い文章になってしまっているのです。悩みのことを「お肌のトラブル」などと表現すれば、「心のトラブル」「学習内容のトラブル」などなど、「トラブル」の使用範囲に制約が無くなってしまいます。安易な表現姿勢です。
 第6段落では、「事件」や「衝突」と端的に書くと、実際の出来事より強い印象を読者に与えるおそれがある、と書かれています。だから「トラブル」の方がよいという論理は納得できません。「トラブル」という言葉を、ものごとをあいまいに表現する方法の一つと捉えているようです。「事件」や「衝突」以外に、日本語にはたくさんの言葉があります。和語の系列では「闘い」「戦い」「争い」「もめごと」「いがみあい」「ごたごた」など、漢語の系列では「混乱」「抗争」「反乱」「応戦」など、いろいろな言い方ができます。そんな言葉で使い分けることこそ、日本語の豊かさなのです。そもそも、外来語としての「トラブル」という言葉は、大規模な「事件」や「衝突」などには使われません。個人の間のちょっとした争いや、業務上の混乱などに使われる言葉のはずです。
 第7段落は、新聞特有の書き方になっています。引用文で一段落を構成し、文末は尻切れトンボの表現です。「…と述べた。」というような述語のない、おかしな日本語で、新聞以外にはあまり現れない表現です。「トラブル」という言葉は「事態がどんな段階にあっても使えるあいまいさが特徴」と述べています。こんないい加減な言葉こそ、日本語の中から追放すべきではないのでしょうか。単に「使い勝手が良く好んで使われる」というのが言葉の生命力ではありません。

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