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2020年6月19日 (金)

ことばと生活と新聞と(119)

「時間の嵩」を失う現代人


 新型コロナウイルスの感染拡大という状況の中で、仕事や人間関係や教育などを含めて、広い分野にわたってオンラインという言葉がもてはやされています。
 リモートワークによって生産性を落とさないようにしよう、ふだんの生活は不自由になってもオンラインで人間関係を確保しよう、児童・生徒・学生のひとりひとりに機器が行きわたるようにしよう、などということが言われています。
 現在の状況下においては、いずれも、やむを得ないことであると思います。けれども、コロナ禍をきっかけに生活の有様を変えてしまおうとしても、それはうまくいくのでしょうか。学校の9月入学(新学期)にしても、その場の思いつきに過ぎませんでした。リモートワークで働くことで、働く喜びは得られるのでしょうか。オンライン飲み会のようなものは一時しのぎのことに過ぎないでしょう。教育は人と人とが体と心をつきあわせて成り立つものです。
 人間関係をますます希薄なものにしていって、人々の暮らしは成り立つのでしょうか。生きる喜びは得られるのでしょうか。コロナ禍を契機に、人々がこれまでに失ってしまっているものを発見して、見直すことは大切なことであると思います。
 「会えない今 手紙書こう」という見出しの記事がありました。メールやSNSですぐさま連絡を取り合えるのは、そんなに喜ばしいことでしょうか。緊急の連絡には大きな役割を発揮してくれますが、大切なことが忘れられてしまっているかもしれません。
 この記事から、一部を引用します。

 大型連休も、感染拡大を避けるため、家族の元に戻らない単身赴任者や、実家に帰省しない人が多かった。会いたい人に会えない。そんな時こそ、手紙を書いてみては--。 …(中略)…
 「会えない相手に、会いたいと思って、ゆったりとした時間の中で書くのが手紙。今の私たちに必要なのは、そんな豊かな時間かも知れません」。夏目漱石ら文豪の手紙を研究している中川越さん(65)は話す。 …(中略)…
 メールやSNSと違って、手紙には、マテリアル(物質)を通して、人と人との心が通い合うことの妙味がある、と語る。
 「便箋を探し、手紙を書いて、切手を貼り、ポストまで行く。その時間のカサが真心として届けられ、その相手は、それを確かな重さと肌触りとぬくもりのある分身として受け取ることができるように思います」
 (朝日新聞・大阪本社発行、2020年5月8日・夕刊、3版、7ページ、斉藤佑介)

 この記事に書かれていることは、隅から隅まで大賛成です。オンラインと手紙の違いは、この記事に書かれている言葉を使えば、「時間のカサ」が大きく異なるということでしょう。パソコンを叩くだけで用が済むということを、能率的だと誤解してはいけません。簡単に用が済むということは、相手も簡単に受け取っているということです。わからなければ何度でも発信・受信を繰り返すことができますが、人間関係は、あるいは心の中の動きは、軽いものになってしまいます。
 私たちの世代は、若い頃に「文通」ということをしました。国内の友との場合もあり、海外文通もありました。大人になってからも手紙でのやり取りに慣れていました。一刻を争うようなときの通信は、電話や電報でした。けれども、それは高額なものでした。
 手紙を書いたときは何度も読み返して投函しました。大事なことを書き忘れたら、そのやりとりで改めて何日もの日数が必要になるからです。自分の心の中を何度も往復させながら書く手紙はまさに「時間のカサ」のたまものであったのです。
 コロナ禍に際して言われたことに、この際に読書をしようということもありました。インターネットで簡単に情報を得ることに慣れてしまっている人たちは、ゆったりとした時間を読書にあてるという習慣を思い出したでしょうか。これも「時間のカサ」の、もう一つの側面です。
 記事の中に、ただひとつ気になる言葉がありました。「マテリアル(物質)」です。これは便箋や切手などのことを指しているのでしょうか。それとも別の意味が込められているのでしょうか。中川越さんの言葉の中にあったのかもしれませんが、この記事には不釣り合いな言葉のように感じました。

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