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2020年6月30日 (火)

ことばと生活と新聞と(130)

略語の意味の進化の例


 同じことを表現しても、使う言葉によってイメージが変化することがあります。その言葉がもともと持っていた語感が消えない場合もあるのです。
 こんな表現を目にしました。

 新型コロナウイルスの感染拡大後、家での食事が増える中、時短で作れる野菜たっぷりのレシピを、大阪府立大栄養療法学専攻の学生約20人が考案した。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2020年5月25日・朝刊、14版、20ページ、「青鉛筆」)

 記事の文に「時短」という言葉が使われています。「時」は時間、「短」は短縮です。けれども、「時短」は単に時間短縮をあらわす言葉ではありませんでした。労働時間短縮という言葉を短く「時短」と言っていたはずです。そういう文脈の中で使われ続けてきた言葉です。
 大阪府立大栄養療法学専攻のホームページを見ると、このレシピが公開されていて、「手間をかけず時短調理につなげるため、どこの家庭でもよく使う野菜を中心に、調理済みの缶詰なども使ったメニューを考案」などという表現があって、「時短」が使われています。そして、電子レンジなどを使って短い時間で作れるように工夫した料理のレシピが31種、並んでいます。
 けれども、「短い時間で手際よく作れる野菜たっぷりのレシピ」という表現をすれば、料理を作る人の愛情も感じられるのですが、「時短で作れる野菜たっぷりのレシピ」という表現は、労働時間を短縮して作り上げる料理という感じで、工場生産か何かの意味がただよわないわけではありません。言葉がもたらすイメージとはそのようなものです。
 もともと労働時間短縮という意味を持っていた「時短」が、さまざまな事柄における時間短縮という意味に使われるようになったという、略語の意味の進化の一例ということになるでしょう。けれども、もともとの意味を浮かべ続けている人にとっては、料理の時間にまで使われるのは意外だと思われるに違いありません。
 料理の時間を短くすることの他に、今では、「目的地までの時短のために飛行機に乗る」とか、「富岳コンピュータが計算の時短に貢献する」とか、「飛び級進学で勉強の時短を図る」とかの言い方が認められるようになっているのでしょうか。

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