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2020年7月 1日 (水)

ことばと生活と新聞と(131)

記者特有の文章を学校教育に持ち込まない

 6月1日の朝日新聞の「天声人語」は、多くの文字に振り仮名を施しています。振り仮名を付けなくても中学生・高校生には読めるはずですから、この措置は小学生にも読んでほしいという願いが込められていると思います。
 「天声人語」には書き写すためのノートも準備されていて、執筆者は自分の書いた文章が学校教育にとっては手本になるものであるという自負を持っておられるようです。
 けれども、私は「天声人語」の文章は学校教育において手本になるようなものではないと思っています。こういう文章を教室に持ち込むことはやめてほしいと思っています。
 誤解がないように申しておきますが、かつての「天声人語」は教室で扱うことができました。問題を感じるのは現在書かれているような文章のことです。文字数が少なくなって、不適切な表現になってきているということです。
 私はこのコラムで「天声人語」の文章を折りに触れて批判してきました。朝日新聞社にもそれらの文章は送りましたが、返事をいただいたことはただ一度もありません。大新聞社の優秀な担当者が書く文章に文句を言うな、という姿勢であることを強く感じております。けれども、学校教育に役立つ文章表現というのは、このような文章ではありません。
 「天声人語」の文章は、記者がニュースなどの紙面に書くような文章の体裁から抜け出してはおりません。誤解のないように書かれていますが、文章としては整っていないのです。子どもたちが、文章を書くときの手本にしてはいけないのです。
「天声人語」の文章が不適切なものであるということを、いくつかの点から申します。①句読点がきちんと施されていません。段落の最後に句点がありません。②体言止めの文や、文末を省略してしまっている表現が多くあります。また、活用語をきちんと最後まで表現していない文も多くあります。③主語と述語が対応していない文が多く、特に、述語を省略している不完全な文が多いのです。
 「天声人語」は半端な文字数で書かれています。その文字数を守って、文章を書き続けておられる執筆者の努力には感服しますが、それは新聞社の紙面構成の都合による字数制限でしかありません。学校教育では、そんな半端な字数で文章を書かせることはありません。学校教育で行う字数制限とは、根本から目的が異なっています。そして、コラムはその文字数に合わせるために、おかしな文を書き連ねて、一つの文章にしているのです。
 「天声人語」を大人が読めば、意味を誤解することはありません。洗練された文章になっていると思います。けれども、この文章を教室で使うということは、文章の書き方の手本であるという意味が加わります。とりわけ国語の教材として扱おうとすれば、厳密な意味できちんと文法を守ったものでなければなりません。その意味では「天声人語」(少なくとも現在書かれているもの)は落第です。手本にはなりません。
 きちんとした文法などに沿わない文章が、毎日毎日、書き続けられているのです。大げさな言い方をすれば、美しい日本語の表現を崩していくような営みを続けているのです。学校教育で参考にしてほしいと言うのなら、そういうことをきちんと守って書かなければなりません。
 このように言えば、執筆者はお気づきにならなければなりませんが、いっこうに文章の書き方が改善されません。ひとつひとつを細かく指摘することは心苦しいのですが、次回は、6月1日の文章を例にして述べることにしたいと思います。

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