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2020年6月13日 (土)

ことばと生活と新聞と(113)

「一定の」というのは僅少のことだ


 政府の官房長官などの記者会見を聞いていると、「一定の賛同が得られた」などという表現に出会うことがあります。この言い方を聞くと、「80%の議員の賛同があった」とか「4割程度の賛成があった」とか言うよりも、もっと数値が低いのを隠して、言葉でごまかしているような印象があります。
 この「一定」という言葉に注目したコラムがありました。題目は「一定評価したい」であり、見出しには〈「基本、」と同様 どんどん副詞化〉とあります。

 政策などについて、「一定評価したい」などという言い回しを目にすることがあります。「一定の評価をしたい」または「一定程度評価したい」というのが自然な気がします。
 似たような言葉に「基本」「原則」などがあります。これらも「基本的に」「原則として」というのが一般的だったものが、「基本、家にいます」「原則、認められない」のように、文全体に副詞的にかかる使い方が広まっています。 …(中略)…
 小木曾さんによると、「ある程度」という副詞的表現が広く使われ日常語化していったために、その改まった言い換えとして「一定程度」という表現が使われるようになり、そこから「程度」がとれた「一定」だけで副詞的用法をもつに至ったと考えられるそうです。 …(中略)…
 新聞でも「原則」「基本」などについては副詞的な用法も使われるようになっています。「一定」も今後書き言葉にまで広がるのか注目していきたいと思います。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2020年5月9日・朝刊、13版S、11ページ、「ことばサプリ」、竹下円)

 この「一定」という言葉について「副詞化」とか「副詞的用法」と言っていますが、それは正しいのでしょうか。
 「基本、家にいます」という例文は、「私は日曜日には、基本、家にいません」と言えます。「原則、認められない」という例文は、「崩し字の書き方はいろいろありますが、どの書き方も、原則、認められる」と言うこともできます。それに対して、「一定(程度)評価したい」という言い方を打ち消しにして、「一定(程度)評価しない」などという言い方はできないように思います。つまり「一定」は、「程度」や「評価」のような名詞を修飾する働きをしているのであって、それは「基本」や「原則」とは異なる働きをしているのです。つまり、「一定」は副詞的な働きをしているのではなく、連体詞と同じ働きをしているのです。(「一定」は、「評価したい」という用言的な部分にかかるのではなく、「評価」だけにかかっていく言葉です。)
 次に、「『ある程度』という副詞的表現が広く使われ日常語化していったために、その改まった言い換えとして『一定程度』という表現が使われるようになり、そこから『程度』がとれた『一定』だけで副詞的用法をもつに至ったと考えられる」という説明にも疑問があります。
 「ある程度」という言葉には、数値の膨らみがあります。信頼感の持てる数値のように聞こえます。それに対して、「一定程度」という言葉は、「その改まった言い換え」などではなく、異なった程度を表す言葉でしょう。数値を隠して、逃れやすくしておこうという意図が感じられます。この言葉は、政府の会見などで耳にするのが多いからかもしれません。そもそも、信頼できる論文などで「一定程度」などという言葉を使うことはありません。(「ある程度」という言葉も、気楽に使う日常用語に過ぎません。)
 「一定程度」というのは、現在の内閣特有の表現であり、僅かばかりの数字を大きく見せかけるための言葉遣いのように見えるのです。「一定」が書き言葉などに広がってほしいとは思いません。

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