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2020年6月18日 (木)

ことばと生活と新聞と(118)

カタカナ言葉の多寡による、文章の印象


 近頃の文章は、新聞も含めて、かつて漢字で書くことが多かった言葉をひらがな書きにする度合いが高まっているように思います。それとともに、外来語などのカタカナ書きの言葉も増えています。けれども、ひらがな書きの増加とカタカナ書きの増加とは、文章を読むときの印象としては、同じようには感じられないものがあります。
 36人の短い文章を集めた本の中に、江國香織さんの「九州@東京」という文章があって、次のような言葉で始まっていました。

 ゆうべ〝博多うどん酒場〟という惹句のついた店に入った。場所は東京都渋谷区。賑やかで活気があり、壁いちめんに品書きが貼られている。おきゅうととかまぼこのバター焼きをつまみにビールをのみながら、私はおお! と思った。おお! 東京にいるのに九州に来たみたいだ、と。かまぼこのバター焼きというものを私ははじめてたべたのだが、とてもおいしいものだった。縁がピンクのかまぼこであるところにも、風情を感じた。
 (『ちょこっと、つまみ』、河出書房新社、2020年3月30日発行、90ページ)

 この文章も、ひらがな書きが多い文章です。飲むとか食べるとかをはじめ、漢字で書いてもよいと思われる言葉がいくつもあります。
 それとともに、キャッチフレーズという言葉が主流を占める時代に「惹句」が使われ、メニューは「品書き」です。こういう文章に出会うと、カタカナの言葉を無制限に使おうとはしていないということに気づきます。バター、ビールなどはもう日常語です。ピンクは「桃色」と書くことはできますが、これももう日常語です。ほとんど誰でも使うような言葉はカタカナ言葉のまま使うとしても、普通の日本語で表現できる言葉はカタカナ語を使わなくてもよいように思うのです。そのようにして書かれた文章が少なくなると、カタカナ言葉の少ない文章には気品のようなものが感じられるようになるかもしれません。
 私自身も、「複写」のことはコピーと言い、「試合」のことはゲームと言うことが多くなっています。コピーやゲームは、もはや日常語になってしまっていますが、複写や試合と言っても通用します。
 私のこのブログの文章も、できるだけカタカナの言葉を使わないようにしていますが、「できるだけ」という程度です。もはや日本語の中に位置を占めるようになっているカタカナ言葉を、わざわざ避けようとはしていません。
 けれども、知っている外来語を無制限に使おうという姿勢で書いた文章と、それを抑えようとした文章とは、読んでみると印象が異なります。次々とカタカナの言葉が出てくる文章は、凝縮度に欠けるような気がします。ひらがな書きの多い文章の柔らかさと、カタカナ書きの多い文章の機械的な印象とは、明らかに異なったものであると感じられるのです。

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