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2020年7月 7日 (火)

ことばと生活と新聞と(137)

挨拶という役割だけでは、言葉は相手の心に届かない


 前回の話題「お疲れ様です」の続きです。7月4日の朝日新聞「オピニオン&フォーラム」のページに〈「お疲れ様です」考〉という見出しの企画が掲載されました。赤塚りえ子さんに聞いた話をまとめた記事に対する反応です。
 残念に思ったことは、葉書やメールで寄せられた読者の意見が約40通であったということです。何百万人の読者のうちで、この話題に関心を持った人数があまりにも少なかったのは、言葉への関心が薄いということではないでしょうか。そのせいでしょうか、読者からの反応は短くまとめられていて、その特集ページでは3人の方にインタビューした聞き書きが大きなスペースを占めていました。
 私は、前回のブログで、「お疲れ様です」と「お疲れ様でした」とは、その言葉を口にする人の心の状態がちがうということを書きました。この企画記事の全体の中で、「お疲れ様でした」という表現に言及しているのは、たった1カ所だけでした。3人のインタビューでは、どなたも、その違いについての発言はなかったようです。
 言及されている、その1カ所を引用します。

 肯定的な意見も多々ありました。「夫婦の夕食は『お疲れ様でした』で始まります」という男性は「基本的に温かい『ことば』。これからも大切にしていきたい」とのこと。ねぎらい合えるご夫婦、うらやましいです。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2020年7月4日・朝刊、13版S、13ページ、「オピニオン&フォーラム 論の芽」、田中聡子)

 私は前回のコラムで、「相手が確実に疲れていると思われているときには『お疲れ様でした』と言います。その人の仕事ぶりなどに一日中、接していた場合などには、腹の底から『お疲れ様でした』と言います。」と書きました。この夫婦の場合はまさしくそれに該当します。けれども、単なる挨拶言葉として使う「お疲れ様」(というような尻切れの言葉)は、相手の心にしっくり届かないということでしょう。
 「ご苦労様でした」「お世話様でした」というような表現は、軽い挨拶言葉としては使いません。本当に相手に苦労をかけた、世話をしてもらったという心がこもっている言葉です。「昨日はご苦労様!」とか「いろいろお世話様!」というような、ぶっきらぼうな表現とは質が異なっています。
 似たような言葉もすべて、同じように考えるべきでしょう。「ご馳走様になりました」「ご愁傷様でございました」「お気の毒様でした」「お待ち遠様でした」「お生憎(あいにく)様でした」「お粗末様でした」という過去形を使った表現は、相手の思いを推察した上で発せられる言葉だと言うべきでしょう。
 相手の心と無関係に発せられる場合の「お疲れ様(です)」は、かえって相手の心を傷つけることがあります。その言葉を発する人の人格や品性が疑われることになるかもしれません。

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