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2020年7月18日 (土)

ことばと生活と新聞と(148)

取材先の偏り


 神戸の王子動物園のパンダは中国から貸与されていたのですが、期限が来たということで今年の秋には返すことになりました。テレビのニュースで、幼い子が「可愛いー。い なくなったら寂しいょー」と言っている姿が映し出されると、ほほえましく思い、同感します。けれども、大人の人の「もう少しいてほしい」などという言葉を聞いても、ありきたりの感想だと感じます。そんな、誰でも口にするような感想などはニュースに不要だと思うこともあります。
 新聞やテレビなどは、コメントを求めることをやめようとはしていません。ただ一人の人が、全体の代表者であると言わんばかりに氏名などを書いてニュースにしていることも多いのです。行楽や買い物などの記事では、軽く読み過ごせばよいのですから、目くじらを立てることはやめましょう。
 けれども、教育とか文化とか経済とかのやや専門的な記事を読んでいると、コメントなどを述べるのが同じ人に偏っていると思うことがあります。
 そのように感じているのは私だけではないようで、こんな文章が載っていました。

 最近、朝日新聞の紙面を眺めていて、「何かがおかしい」と感じることが増えた。今日の朝刊のはずなのに「前に読んだような気がする」という妙な既視感が漂う。この変な感じは一体何だろう。 …(中略)…
 よく登場する気がする私立開成中学・高校の柳沢幸雄前校長である。登場回数8回。では、同じく私立進学校である男子校の武蔵や麻布、女子校の桜蔭の校長はどうかというと、武蔵は2回、麻布や桜蔭はゼロ回だ。 …(中略)…
 しかし、これは氷山の一角だろう。取材先と記者が固定すれば偏りは避けられないと考え、社として防止策を講ずるほうが良い。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2020年7月10日・朝刊、13版S●、11ページ、「メディア私評」、新井紀子)

 文章は長文ですが、そのごく一部を引用しました。この文章では、教育関係の記事に的を絞って、デジタル検索サービスで検索した結果が詳しく述べられています。同じ記者が、同じ取材先を選んで記事にするから、既視感が漂うというわけです。
 残念なことは、教育界全体の話題であっても、記者の取材先は東京に偏っています。特定の地域の、特定の学校の校長が、教育界全体を代表する意見になっているのです。しかも、同じ人の意見が繰り返し掲載されているのです。
 報道も教育も中央集権です。他の地域の人の意見は軽んじられているのです。そして、一つの話題にコメントが一つということならば、そこで述べられていることが教育界全体を代表する考えと受け取られます。
 記者としては、これまで取材して気心が分かる人に再び聞いてみようという気持ちになるのでしょう。別の言い方をすれば、こういう方向の記事を書く(あるいは既に草稿はできている)から、あの人のコメントが都合がよいということでもあるのでしょう。
 これは記者の手抜きだとも思われます。記者が既に知っている人、記者にとって無難な意見を聞ける人、記事の内容に波風を立てない人、というような基準で選んでいるのかもしれません。
 教育に関する記事は、公立学校を避けて、私立学校の校長や教員にコメントを求めることが多いように感じられます。新聞に載れば自分の学校の宣伝になると思わない人は少ないでしょう。新聞社が私立学校偏重になれば私立校は喜んでいるでしょう。癒着です。けれども、そのコメントは教育界全体の意見とは齟齬することも起こるでしょう。
 大学入試制度や9月入学案などについての記事は、東京中心、進学校中心、私立学校中心の記事になっていました。そして、その記事を支えたのが、私学有名校の校長の意見であったのかもしれません。
 私たちは、同じ人の意見を何度も聞きたいとは思っておりません。いろいろな考え方のあることを知りたいのです。安易にコメントの取材先を決めないようにしてほしいと思います。

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