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2020年7月27日 (月)

ことばと生活と新聞と(157)

「注目」という言葉の使い方


 「これから後の成り行きが注目される」などという言葉で文章を締めくくる書き方が新聞記事や放送のコメントなどにあって、自分の意見を述べないで文章を終わらせるやり方を、記者自身が自虐的に「ナリチュー」という言葉で呼んでいたことがありました。「成り行きが注目……」という表現は少なくなりましたが、「今後の展開が気になります」とか「誰がどう責任を取ることになるのでしょうか」とか、同様の言葉遣いは今でもしばしば見られます。
 ところで、この「注目」という言葉ですが、注意してよく見る、とか、関心を持って見守る、とかの意味です。他者から「この文章に注目しなさい」となどと促されることもありますが、もともとは、自分から進んでしっかり見るというような意味で使われてきました。注目することには、その対象物(内容)があるのです。
 そういうふうに感じていますから、ある時、教員が子どもに向かって「はい、注目!」などと言っていたのを聞いたときには、ちょっと違和感がありました。対象物があるわけでもなく、よそ見をしている子どもに向かって、前を向くことを促す言葉として「注目」を使っていたのです。
 それと共通点があるのかどうか、わかりませんが、こんな文章を読みました。

 群馬県では学校の朝礼で「起立、注目、礼」と言ったりするといった、その地方出身のスタッフは常識と思っていたことが、周囲にはまったく理解されなかったことだったという。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2020年6月22日・朝刊、14版、12ページ、「フォーカス オン」、黒田健朗)

 「秘密のケンミンSHOW極」というテレビ番組を紹介する記事からの引用です。
 文章を読んでいるときに、「筆者の考え方に注目してみよう」などと言われることがあります。注目する対象や方向性が指示されるのですから、具体性があります。
 ところが、対象物の指示がなく唐突に「注目せよ」と言われたら、前を向いて、正面のものを見つめるという意味しか考えられません。どの部分に注目するのか、どのように注目するのか、というような具体性がありません。前を向いたけれども、注目に値するものは何もなかったということもありうるのです。よそ見をしないで、真っ直ぐ前を向きなさいという指示に「注目」を使うのは、少しばかり硬い言葉を使って注意を促しているということに過ぎないようです。

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