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2020年7月 8日 (水)

ことばと生活と新聞と(138)

「お疲れさん」は以前から使っていた、ごく普通の日常語


 もう1回だけ、「お疲れ様」の話題を続けます。7月4日の朝日新聞「オピニオン&フォーラム」のページの〈「お疲れ様です」考〉の中に、倉持益子さん(社会言語学者)からの聞き書きが掲載されています。その一部を引用します。

 いつごろから「お疲れ様」という言葉が広がったのでしょうか。
 時期ははっきりしませんが、芸能界、例えば歌舞伎役者から広まったようです。戦前から活躍した俳優がよく使っていたという証言が残っています。芸能界からメディア関係者のあいさつとなり、じわじわと一般社会にも浸透したのではないかと考えられています。 …(中略)…
 1980年代ごろからマナー本などで「『ご苦労様』は目上の人に使ってはいけない」という記述が増え、使いづらくなりました。取って代わったのが「お疲れ様」だったのです。 …(中略)…
 これを使っている限りひんしゅくは買いにくい。代わる言葉の候補も、私はまだ見いだせません。まだまだ「お疲れ」時代は続くのではないでしょうか。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2020年7月4日・朝刊、13版S、13ページ、「オピニオン&フォーラム 論の芽」、田中聡子)

 「お疲れ様」という言葉は、「芸能界からメディア関係者のあいさつとなり、じわじわと一般社会にも浸透した」と言えるのでしょうか。「お疲れ(になられた)でしょう」というような表現はごく普通の日常の言葉です。「ご機嫌さん」「お早うさん」と同じように、「お疲れさん」という言い方は自然に発せられます。短く「お疲れ!」と言うこともあるでしょう。それは相手を思いやる気持ちから発せられていたはずです。それならば、何の問題もありません。同じ言葉が、今では軽い挨拶言葉に転落してしまったということが問題なのです。
 「ご苦労様」の代替として「お疲れ様」が使われるようになったというのも疑問です。上に述べたように、「お疲れさん」はそんなに新しい言葉とは考えられません。「ご苦労様」と「お疲れ様」は意味が異なる言葉です。それを代替品として使うというのは、心のこもらない言葉遣いということになります。言葉は、そんなふうにして変化していくと考えるべきではないと思います。
 「これを使っている限りひんしゅくは買いにくい」という評価は大問題です。ひんしゅくを買いにくいと肯定するのなら、この言葉を新聞で取り上げる必要はありません。そうではなくて、「お疲れ様」は使い方(どんな場面で、どのように使うかということ)に問題があるのです。「お疲れ様(です/でした)」を認めるか認めないかということではなく、どんな場面で、どのように使うかということを、深く考えるべきだということなのです。

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