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2020年7月19日 (日)

ことばと生活と新聞と(149)

ついでの「ご挨拶」


 国会中継などを見ていると、質問をする人が「はじめに、新型コロナウイルスでお亡くなりになった方にお悔やみを申し上げます」というようなことを述べることがあります。そんな言葉が2人、3人と続くこともあります。自然災害などが起こったときも同様です。
けれども、このような言い方は、何か義務的に述べているようで、あまり好ましいとは思いません。他の人が言っているから自分も同じように口にするという風情がただようような人もあります。このような口上は、心がこもっているように感じられなくてはなりません。口ごもったり言い間違えたりしたら逆効果です。
 「新型コロナウイルスでお亡くなりになった方」は全国に広がって、ひとりひとりの顔を思い浮かべることができません。大災害の直後にこのような言葉を聞くのは、その場面にふさわしい言葉だと思いますが、いつまでたっても同じ言葉を繰り返しているのは、単なる挨拶言葉のように聞こえてしまいます。
 悲惨な交通事故が起こった場所で、黙祷を捧げるような場面をテレビで見ることがありますが、その場合は1年後であっても、5年後であっても、参列者には、亡くなった人の面影が浮かぶことでしょう。
 それに対して不特定多数の人が対象である場合は、ついでの機会にご挨拶をしているという印象が強いのです。そういうことを述べるのなら、別の話をするときの冒頭だけに述べるのではなく、そのことだけに徹して丁寧に述べてほしいと思うのです。けれども、そのことだけに徹して述べる機会というものがあるのかというと、それはほとんど無いと思います。
夏の全国高校野球選手権大会が中止になりました。そのことを知らせる朝日新聞社と全国高等学校野球連盟の連盟の挨拶文が掲載されました。冒頭は次のようになっています。

 新型コロナウイルス感染症でお亡くなりになった方々にお悔やみ申し上げますとともに、罹患された皆様にお見舞い申し上げます。
 第102回全国高等学校野球選手権大会は6月下旬からの49地方大会、8月10日に阪神甲子園球場で開幕予定だった全国大会の中止をともに決定しました。安全と健康を最優先に考えた苦渋の決断です。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2020年5月21日・朝刊、14版、1ページ)

 配慮が行き届いた挨拶と見ることもできますし、述べようとする話題だけに絞った方がよいのではないかという考え方もできると思います。

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