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2020年7月25日 (土)

ことばと生活と新聞と(155)

「遺憾」という言葉遣いはイカンなぁ


 「この度の件については、私は責任を感じております。」という言葉を発しながら、具体的な責任の取り方を示さないのが、この国の首相ですから、この国は政治家だけでなくすべての国民が、責任というのは頭を下げておけばよいものだと思い始めているようです。これも政治の大きな責任だと思います。言葉を壊していく政治は、そろそろ幕引きをしなければなりません。
 似たような例として、「今回の出来事については、皆さま方にお詫びを申し上げたいと思います。」という言葉だけで済まそうとしている人もたくさん、おります。「お詫びを申し上げたい」という言葉は、お詫びをしたいという希望(願望、意思)を述べているだけであって、お詫びをしているわけではありません。お詫びをしたいと思ったなら、改めて、「お詫びを申し上げます」と述べて、頭を下げなければいけません。お詫びをしているようなポーズだけで済まそうとする魂胆が間違っています。あるいは、日本語の使い方がわかっていないのなら、日本語を根本から勉強しなければなりません。
 わけのわからない言葉を述べていると思うことが、他にもあります。事を起こした本人が「まことに遺憾に存じます。」と言うのは間違っていると思います。「遺憾」という言葉を国語辞典で確かめると、〈思い通りにならなくて、心残りなこと〉とあります。謝罪する必要のないような、軽い事柄であるのなら、自分の意志の通りにならなくて、残念に思うというような場合に使ってもよいと思います。
 けれども、ニュースなどでこの言葉を耳にして違和感を覚えるのは、謝るべき行為をした本人が使っているからです。「この度の私のしたことは誠に遺憾に存じます。」という発言は、思い通りにならなくて(=隠し通すことができなくて)心残りである(=謝らなくてはならなくなって残念だ)、という意味に聞こえます。開き直った言葉です。「謝罪」という言葉の代替として「遺憾」を使おうとしても、それは認められません。
 国民の側が、元・法務相が犯罪を起こして遺憾だという感想を持つなら、それは正しい使い方でしょう。政治家は間違ったことはしないという期待感が裏切られたことこそ遺憾の気持ちになるのです。
 何でも「責任」という言葉を吐いておけば済むものではありませんし、「お詫び申し上げたい」でお終いにはできません。「遺憾」という言葉で謝罪したような体裁をつくろうこともできません。「遺憾」などという言葉を使ってごまかすことは、イカン(=だめだ)なぁと国民は思っているのです。きちんと相手に気持ちが伝わるような言葉を選んで、丁寧に謝罪をすべきです。

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