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2020年7月13日 (月)

ことばと生活と新聞と(143)

「〇〇年記念」という区切りは、何のためにあるのか


 美術館などの催し物、大ホールでの演奏会、そして出版物などに、「生誕〇〇年記念」「没後〇〇年記念」などと銘打たれたものがあります。そのような名の付いた美術展などには、この機会を逃したら何年先になるかもしれないと思って出かけることがあります。けれども生誕や没後の年数に関わらず開催されるものも多いのですから、「〇〇年」にどれほど意味があったのかと思うこともあります。もちろんその年数に意義深いものが含まれることもあるのは否定しませんが、単なる惹句として使われている場合もあります。
 こんな文章を読みました。

 もはや誰も言わなくなってしまったが、今年はベートーベン・イヤーである。生誕250年。様々な企画が世界中で用意されていた。それがほとんど新型コロナの影響で中止になった。
 古典派音楽が専門の指揮者、鈴木秀美さんは昨年末、自身の楽団の指揮を1年間休止すると宣言した。体調などが理由だったが「ベートーベン・イヤーに乗っからずに済みそうでほっとしている。芸術はイベントではない」と公演後のトークで皮肉った。人類の宝をそう易々と「商品」にされてたまるか。そんな矜持を映す言葉だった。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2020年6月8日・夕刊、3版、7ページ、「取材考記」、吉田純子)

 この機会に、と思って期待をしていた演奏者や音楽ファンがいたことは確かで、中止によって失われたものも多いでしょう。けれどもベートーベン生誕250年だから意味があり、249年や251年だから価値が薄らぐわけではないでしょう。ベートーベン・イヤーが商業主義と無関係ではないとは言えないでしょう。
 私たちはこのような宣伝の言葉に弱いことは確かで、知らない間にそんな口車に乗せられていることが多いように思います。あの人が亡くなって30年にもなるのかという感慨を持つことはありますが、あの人が生まれて200年かといっても時間の長さを感じるだけということもあるでしょう。
 美術展や演奏会だけでなく、出版物にもこの傾向が強いように思います。今年がそういう年に当たるのかということを教えてくれるのは意味がありますが、それに乗っかってしまうのが人間の弱いところです。美術展、演奏会、出版物などを商品として、利益を得ようとしている人が世の中には大勢いるのです。
 何十年ぶりに開かれるというオリンピックや万国博覧会も同じようなものかもしれません。何事をも商品にして、それで金儲けをしようとしている人がいるということを忘れてはなりません。
 商品化されたものに引かれないで、文化などの一つ一つを自分の目で見たり、耳で聞いたりしながら、自分で考えていくという習慣を身に付けておかなくてはならないと、深く思うのです。

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