« ことばと生活と新聞と(168) | トップページ | ことばと生活と新聞と(170) »

2020年8月 8日 (土)

ことばと生活と新聞と(169)

強調表現が人々に先入観を与えてしまう


 現在はこのような時代に入っている、などということを強調されても、そんなふうには思えないことがあります。新聞や放送に携わっている人たちは、一般の人よりも感じ方が鋭いのかもしれません。けれども、うがった見方をすれば、記事を書く人たちが使う言葉遣いによって、読者はそのように思わせられているということがあるのかもしれません。
 例えば、次のような表現があります。

 世界は「分断」の時代と言われる。共感できる者とだけつながり、意見が異なる相手とは対話さえしない。国家も自国第一主義がはびこる。底流に格差の拡大がある
 これも分断だろうか。日本の若者に「嫌老感」が広がっているという(五木寛之著「孤独のすすめ」)。生活が苦しい自分たちが、なぜ豊かな高齢者を支えねばならないのか。そんな不満が嫌悪感につながっているようだ
 (読売新聞・大阪本社発行、2020年7月25日・夕刊、3版、1ページ、「よみうり寸評」)

 カギカッコを付けて「分断」と書くと、それがキーワードになってしまいます。それほど意識していない人であっても、こんな書き方を提示されると、今はそういう時代であるのかと思わせられてしまいます。
 「嫌老感」という言葉の使い方は、他人の言葉の引用であるという形を取って、やはりカギカッコで強調しています。巧みなやり方です。それにしても、〈日本の若者に「嫌老感」が広がっている〉というのは、多くの人が感じていることなのでしょうか。個人的な感想である可能性もあります。
 けれども「分断」と言い、「嫌老感」と言う言葉を使うことによって、ある種の見方が強調されます。そして、そういう見方をしていない人との間に、「分断」を起こそうという趣旨の文章であるのかなぁと思わせられます。
 文章には、書く人の考えが表現されます。文章を書く人は自分の考えを強く伝えようと努力をします。けれども、書き方しだいでは、誤った先入観を与えてしまうことも起こりえます。
 実は、上に引用した文章は5つの段落からできています。その第1段落と第2段落を引用したのですが、第3段落の最後の文は「若者が将来に不安を感じるのは当然だろう」と書かれ、第4段落の最後の文は「活発に動き回る若者たちを苦々しく眺めている高齢者は多いのではなかろうか」と書かれています。
 文章の最後(第5段落の最後の文)は、「相互理解が大切なのは、なにも国際社会だけではない。」と結ばれていますが、文章全体で「分断」「嫌老感」を強調した文章ですから、最後の結びは何の提言にもなっていないのです。

|

« ことばと生活と新聞と(168) | トップページ | ことばと生活と新聞と(170) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« ことばと生活と新聞と(168) | トップページ | ことばと生活と新聞と(170) »