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2020年8月 3日 (月)

ことばと生活と新聞と(164)

「火の手、水の手」を辞書に載せよう


 はじめて知った言葉であっても、それが強い印象を残す言葉があります。珍しい言葉ではありません。ごく当たり前の日常的な言葉遣いですが、そんな言い方があるのかと驚くことがあります。
 こんな文章の中に書かれていました。

 『みどりのゆび』というお話を子どものころ、読んだ。男の子が、町にも武器にも花を咲かせてしまうような話だったと記憶している。
 私はみどりの指を一本も持っていない。なんでも枯らす。驚くほど枯らす。サボテンだって枯らす。日本では、火の手水の手、というらしい。水の手は、さほど世話をしなくとも植物をうまく育てられる人のこと、火の手は逆に、どんなにがんばってもなんでも枯らしてしまう人のことらしい。
 火の手の私は、ひとり暮らしをはじめた二十年以上前から、「緑のある部屋」に憧れている。そりゃぁもう、よだれを垂らしそうなくらい、憧れている。
 (角田光代、『まひるの散歩』、オレンジページ、2012年6月8日発行、184ページ)

 植物をうまく育てられる人のことを「水の手」と言い、枯らしてしまう人のことを「火の手」と言うのは、わかりやすい日本語で、納得させられる表現です。すぐに外来語に飛びつかなくても、日常的な言葉遣いで、こんな含蓄のある表現ができるのです。
 ところが、手元の国語辞典を見ても、「火の手、水の手」という言葉は出ていません。インターネットにはありました。火の手、水の手、緑の手、緑の指、などの言い方をする人があるようです。緑の手、緑の指というのはやや直接的な言い方です。火と水を対応させて、火の手、水の手と言う方が望ましいと私は思います。
 火の手という言葉は、火災になったときに「火の手が上がる」という言い方をしますが、「火の手、水の手」と混同することはありません。「火の手、水の手」という言葉を日常的に使いたいと思います。
 何でも外来語で表現しようとするような動きを見つけたときには、「火の手」をあげて抗議し、穏やかな日本語を使おうとする「水の手」を推進したいと思います。
 国語辞典を編纂する人は、文字として書かれたもの(ビラなど)を写真に撮って、その1例だけを報告して自慢することがありますが、そんなことよりも、話し言葉の中にある気のきいた表現などにも注目してほしいと願っています。

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