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2020年9月 6日 (日)

ことばと生活と新聞と(198)

雑種内容に満ちた文章


 こんな書き出しの文章がありました。

 ある貧乏な書生の話。饅頭を食べたいが金がない。饅頭屋の前に行き、大声を上げてぶっ倒れてみせた。驚いた饅頭屋からわけを尋ねられ、答えた。「饅頭がこわいのだ」。案の定、おもしろがった相手が饅頭を押しつけてきた
 中国の笑話集にある「饅頭こわい」である。おなじみの古典落語はこれをもとに作られたようで、色々と手も加わっている。仲間たちが怖いものを順番に打ち明ける場面があり、蛇、蜘蛛……と来て、まさかの饅頭に至る
 外国の話も、江戸っ子の丁々発止に変えてしまう日本の落語文化である。換骨奪胎の流儀は食にもあり、中華料理から生まれたラーメンは日本食として世界で通る。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2020年8月5日・朝刊、14版、1ページ、「天声人語」)

 以上で全体の文書量のほぼ5割に達しているのですが、この文章はどのような方向に発展していくと考えられるでしょうか。
 饅頭こわいの落語は、中国笑話集の換骨奪胎なのかという疑問点は残りますが、それよりも驚くのは、文章展開の方向です。
 この後では、日本のカレーチェーンがインドに進出した話と、米国発のコンビニエンスストアが日本で独自の発展を遂げた話とが書かれていますが、文章の末尾は次のようになっています。

 日本は「雑種文化」だとつくづく思う。国の外から多くを取り入れ、試行錯誤を重ねて血肉とする。もっとも時々、消化不良も起こす。古くは鹿鳴館の欧化熱、最近だとコロナ対策でめっきり増えたカタカナ語とか。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2020年8月5日・朝刊、14版、1ページ、「天声人語」)

 近頃の「天声人語」は話のマクラに当たる部分が長くなって、本論が言葉足らずになっています。言いたい事柄が最終段落に書かれているのであるのなら、マクラなどは省略して、本論を詳しく説明すべきでしょう。字数合わせの目的だけで文章を書かないでほしいと思います。
 「雑種文化」は国外のものと日本のものとの混交のことでしょうが、この文章はいくつかの内容が雑多に混ぜ合わされて、首尾が整っていません。ひとりの筆者が書いた文章であるのなら、雑種の内容になるのはよくないと思います。突然のように鹿鳴館の欧化熱と言い、カタカナ語の増加と言って、無責任に言い放っている姿勢です。
 カタカナ語は、コロナ対策で増えたとは思いません。これまでも新聞・放送が率先して行ってきたことです。コロナ対策のせいではありません。新聞の責任に目をつぶってはいけません。ひとを批判するのが新聞の役割ではないと思います。新聞自身の姿勢を改める提言などを書いてほしいと念願しています。

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