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2020年9月26日 (土)

ことばと生活と新聞と(218)

「行けたら行く」と「考えときます」


 言葉遣いというものは、自分で工夫するのではなく、他人が使っているのを真似て使うことから始まります。その言葉の持つ意味合いをきちんと教えられない場合がありますが、そのときは自分で意味を想像しながら使うことになります。
 あまりにも簡単な言葉遣いであれば、そこに特別な意味合いが込められているとは考えないで、日常生活の場面で使うことがあります。
 何かの催しに誘われたけれども、その日の都合がうまくいくかどうか判断できないことがあります。出欠の判断を即座に求められることがあって、その時、「行けたら行くけど、まだ決められない。」と答えたことがあります。そういう答えをした場合は、行ける・行けないの判断ができた段階になってから、「出席する」とか「出席できない」とかの連絡をしたことがあります。
 近年になって、「行けたら行く」という言葉は、行かない(欠席する)ということを、やや遠回しに伝える言葉であるということを知りました。私は、文字通りに「行けたら」(行く条件が整ったら)行くという意味で使っていましたが、そういう含意があると知って驚きました。私は断ったつもりではないのですが、その言葉を受け取った側は、断ったと理解していたのかもしれません。
 もうひとつ、私が同じような使い方をしていた言葉があります。「考えときます。」という言葉です。この言葉も私は、今は答えられないけれど、しばらく考えた後に判断するという意味で使ってきました。もちろん、再び問いかけられることがなく、忘れてしまったこともあるかもしれません。けれども、即座に断るつもりはまったくなかったことは確かです。
こんな文章を読みました。

 大阪の商売人は、相手に頼みごとをされたとき、次のように答えます。
 「ほな、考えときますわ」
 よかった、考えてくれるんだな、と相手はほっとします。でも、何日かして、「先日お願いした件はどうなりましたか」と尋ねると、また、「考えときますわ」と言われます。
 つまり、「考えときます」というのは、「だめ」の意味なんですね。考えるけど、やらない、ということ。それに気づかない人は、何度もむだに訪問することになります。
 (飯間浩明、『日本語をつかまえろ!』、毎日新聞出版、2019年11月30日発行、130ページ)

 大阪の話であって全国の話ではないかもしれません。商売人だけの言葉遣いかもしれません。けれども、こういう文章を読むと、関西人はみんな、そういう意味を込めて使われている言葉であるということを知っていなければ、大人の言葉遣いができないように感じてしまいます。
 国語辞典編纂という専門的な仕事に携わっている人が書いておられるのです。この本は、もともと小学生向けに書かれた文章を集めたようです。子どもにもこういうことを教えておこうという意図が、私にはよくわかりません。
 「行けたら行く」や「考えときます」を、表面的な意味で使ってはならないということを、子どもたちにも教えておかなければならないのでしょうか。私はそのようには思いませんが、私のように表面的な意味だけで使う大人ができてはいけないという配慮なのかもしれませんね。
 もっとも、そんな私でも、政治家たちが使う「前向きに検討します」や「善処します」が、ほんとうはそんな意志を持たずに発言していることはすぐにわかります。
 『日本語をつかまえろ!』には業界用語や、特殊な使い方や、難しい用語・用字などの例も次々に登場します。そんな話題を列挙して「日本語をつかまえる」ことよりも、正しい日本語を理解し、それを使って表現するために必要な話題を提示する方が子どもにとっては大事なことであると思います。報道や商業などに対応する知識を並べることよりも、日本語の指導に力を注いだ著述の方がうんと大切なことだと思います。

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