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2020年9月17日 (木)

ことばと生活と新聞と(209)

小学生にふさわしい内容の文を提示しよう


 学習指導について書かれている文章は、普通の場合はその児童・生徒向けに書かれているものだと思います。けれども、不思議なことに、そうでなくて大人(親)向けに書かれているのがあります。それは、親がそのように指導するようにと仕向けているのです。
 小学生の勉強の仕方は、小学生にわかるように指導しなければなりません。そのようにして小学生が自立して勉強の姿勢を身に付けるものだと思います。
 朝日新聞の「EduA」という紙面に連載されている「国語のチカラ」は、小学生が読んでも、理解できないような文章です。ということは、親に対して、こういうふうに指導せよと命じているのです。どうして、直接、小学生が理解できるような文章を書けないのでしょうか。子どもたちの自立心にそって、自分で勉強するように仕向ける書き方ができないのでしょうか。たぶん筆者は、小学生や中学生は親が手を貸してやるものだという考えにとらわれているのでしょう。そして「EduA」の編集者も、私立中学校などへの進学はそういうふうにして指導するのだということを盲信しているのでしょう。
 こんな書き方になっています。

 国語の読解問題には、大きく分けて「どういうこと」かを説明させる「説明型」と、「なぜか」を問う「理由・原因型」とがあります。
 前回ご紹介した「説明型」に続き、今回は「理由・原因型」の問題の解き方や因果関係の探し方などについてお話ししたいと思います。 …(中略)…
 〔問題〕 次の、---と~~~が原因と結果の関係になっているものには〇、そうでないものには×で答えなさい。(ただし、結果が後に述べられているとは限りません)
 ①芸術でもスポーツでも初めてやるときはゼロの状態である。そのため、決まりごとを受け入れることから始まる。
 ②日本に田を含む名字がたくさんあるのは、昔から田で作るコメが社会の基本になっていたからだ。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2020年9月13日・朝刊、「EduA」5ページ、「国語のチカラ」、南雲ゆりか)

 国語の読解問題に「説明型」と「理由・原因型」とがあると書かれています。この場合の「読解問題」という言葉にどういう意味が含まれているのかよくわかりませんが、文章はそんな簡単な読み方では済まないと思います。そのような設問が多いというのなら、それは設問を作る側の努力不足でしょう。子どもたちが文章を読む場合に、そのような先入観を与えることは避けなければなりません。
 〔問題〕は、全4問のうち2問を引用しました。傍線を施せないので省略しましたが、それぞれの文の前半と後半に分けて、---と~~~が施されていると考えてください。
 ①②とも、答えは〇だそうです。つまり、原因と結果の関係になっているというのです。
 ①は、「芸術でもスポーツでも初めてやるときはゼロの状態である」が原因であり、「決まりごとを受け入れることから始まる」が結果であると言うのでしょう。
 ②は、「昔から田で作るコメが社会の基本になっていた」が原因であり、「日本に田を含む名字がたくさんある」が結果であると言うのでしょう。
 問いかけの「原因」という言葉には違和感を覚えます。「理由」と言う方が抵抗感が少ないのですが、「理由」というのも行き過ぎの感があります。ある事実をありのままに書いただけなのかも知れません。
 たぶん問題に使った文は、筆者が作って書いたものでしょう。
①は、「(芸術でもスポーツでも)決まりごとを受け入れることから始まる」というのは強引な言い方です。国語の問題文とは言え、こういう考えを植えつけるのは問題ではないでしょうか。
 ②についても、「コメが社会の基本になっていた」というのはずいぶん粗っぽい表現です。こんな文を書く人はいないでしょう。「コメが社会の基本」などということが小学生に理解できるでしょうか。何でもよいから文章の書き方の関係を理解せよと強要しているように思われます。
 つまり、書かれている内容を深く吟味することなく、文章を「問題」に使って「答え」を書かせることが国語の指導である、と考えるのはよくないことです。国語の指導者は適切な言葉遣いをして、望ましい読解指導を心がけなければなりません。「EduA」編集部は、そのようなことにも目を注いでほしいと思います。

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