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2020年9月 8日 (火)

ことばと生活と新聞と(200)

「浮動票」とは言ってくれるな


 政党が使い始めたのか、新聞・放送の用語なのか知りませんが、「浮動票」という言葉に違和感を持ってきました。『三省堂国語辞典・第5版』では、この言葉を「だれに投票されるか、候補者につかみにくい票。」と説明しています。
 そうであるのなら、候補者が(内々に)使うことはかまいませんが、報道機関が使うべき言葉ではありません。投票をする主権者ひとりひとりは「浮動」しているのではなく、最後の最後まで考え抜いて決断しようとしているのです。新聞がよく使う表現である「浮動票の行方によって当落が決まる」というのは当然のことであり、そこに有権者の声が反映されているのです。それを「浮動票」という言葉で表すと、まるで気まぐれで投票しているようにも見えるのです。実に失礼な表現であると思い続けてきました。
 私は政党員ではありませんし、いつも同じ政党を支持し続けているわけではありません。候補者にとっては、計算しにくい一票です。私の一票が「浮動票」と位置づけられていることを、候補者には脅威と受け取られることは差し支えありませんが、新聞や放送から意志の定まらない(政党員でもなければ、特定の候補者の強い支持者でもない)人間と見なされることには腹立たしさを感じています。
 かつて今東光さんの選挙事務長を引き受けた川端康成さんの言葉がコラムに書かれていました。

 有名人候補が頼りにするのは組織票というより「浮動票」だが、その呼び名に川端はかみついている。「有権者に無礼極まる、無神経極まる」言葉であり、「自由票」あるいは「自主票」「独立票」と改めるべきだと。支持してくれた人への敬意なのだろう
 さて、目下の自民党総裁選でいうと、自由票、自主票に近いのは、全国の党員・党友による投票であろう。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2020年8月31日・朝刊、14版、1ページ、「天声人語」)

 私は、自由票、自主票、独立票などの言葉にも賛成できません。ひとりひとりが自分の意志で候補者を選ぶのが投票です。新聞・放送が当落を占う過程で使う言葉が「浮動票」です。自由、自主、独立という言葉と、組織という言葉は対立する言葉ではありません。報道機関がひとりひとりの投票行動を見守って、その結果を報道することに心がけるのであれば、安易に浮動票だの組織票だのという言葉を使うべきではありません。政党員などで組織票として数えられる人も、組織という枠組みの中で自由を奪われた人ではないと思います。
 それにしても、投開票する前から当選者が決まっているような自民党総裁選挙は、派閥という組織の前に、選挙という民主的な行為が踏みにじられていることが明白です。総裁は総理になるのですが、行政の最高権力者選びが、自民党の地方票を無視して行われており、大多数の国民は蚊帳の外に置かれているのです。

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