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2020年9月14日 (月)

ことばと生活と新聞と(206)

「賢人」という言葉の持つ意味


 近頃は、素晴らしい人々が量産されています。例えば「名人」とか「達人」という言葉にしても、かつては多くは使わなかったように思います。本当にその言葉に該当するのか検討して使ったように思います。現在は、名人、達人などという言葉はあふれていますし、大家、英才、異才、偉人、権威者、巨匠、英雄などと安易に名づけ、さらにエキスパート、ヒーローなどのカタカナ語も氾濫しています。言葉の意味などは気にかけず、大げさな言葉遣いをしています。新聞・放送を真似て、政治・経済の世界でも広く使っています。
 こんな記事がありました。

 中小企業と大企業の共存共栄の道を探る「賢人会議」は、昨年12月から今年2月にかけ、経済産業省で3回開かれた。 …(中略)…
 賢人会議のメンバーは11人。座長の三村氏のほか、大企業と中堅・中小企業、地銀の経営者だ。中小企業庁と日商が、個人の立場で意見を言う「賢人」たちを選んだ。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2020年8月7日・朝刊、14版、7ページ、「けいざい+」、諏訪和仁)

 「賢人」とは、かしこい人という意味には違いありませんが、本来は、知恵があって行いの優れている人、すなわち、聖人に次いで徳のある人のことです。政治・経済の世界になると「行いの優れている人」という基準などは無視していると思います。
 組織などの代表ではなく、「個人の立場で意見を言う」人のようですが、そのような人を「賢人」と称すのは、言葉遣いとしては正しいとは思えません。専門家会議などと称するのにくらべて、賢人会議には何ともいえない不快さが伴うのは、私だけのことでしょうか。

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