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2020年10月 1日 (木)

ことばと生活と新聞と(223)

「前を向く」と「気持ちを切り替える」


 「前を向く」という言葉はスポーツ記事で多く見かけましたが、それ以外の記事でも目につくようになりました。けれども、あまり多用されると、軽い意味のように受け取られて、ほとんど意味を持たないような表現になってしまうかもしれません。
 こんな文章を読みました。

 新型コロナウイルスの流行が収まらないまま迎えた秋。紙面では「前を向く」フレーズが、以前にも増して目につきます。
 スポーツでは夏の甲子園大会が中止になった時は「つらいけど前を向くしかない」(高校球児)、「悔しくてもどこかで必ず前を向くんだ」(野球部監督)と、各地から「前を向く」様子が伝えられました。 …(中略)…
 テニスの全米オープン決勝で、大坂なおみ選手に敗れたアザレンカ選手は「ここに座ったまま落ち込んでなんかいられない」と気持ちを切り替えていました。前を向こうという本能でしょうか。新たな一歩を踏み出すために、まず前を向く。慎重な気構えと言葉が求められている時代なのでは、と感じます。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2020年9月26日・朝刊、13版S、13ページ、「ことばサプリ」、丹羽のり子)

 「前を向く」フレーズについて、上の記事で述べられていることに異論はありません。私は、文章の末尾の部分に使われている「気持ちを切り替える」フレーズのことについて書きたいと思います。このフレーズは、私にとっては、気になってしかたがない表現なのです。
 「前を向く」というのは、ごく普通の表現だと思います。顔や体の正面を前方に位置するようにするという意味です。それを、気持ちを表す言葉として使うことは自然なことであると思います。
 私にとって、「前を向く」ことは割と容易にできるのです。うまくいかないかもしれないと悩み続けるよりも、思い切って取り組めばよいのですから。
 それに対して、「気持ちを切り替える」ことは、私にはなかなかできません。ほとんどできないと言う方が当たっているかもしれません。簡単に、瞬時に、気持ちを切り替えることなどできそうにありません。
 「気持ちを切り替える」は、スポーツ記事で見かけますし、相撲の実況放送などで聞くことが多いように思います。個人競技の場合によく使われています。野球などの団体競技では、チーム全体が「気持ちを切り替える」ことは難しいでしょう。ピッチャーとか、バッターとかの個人に関して、この言葉が使われることがあります。
 これまでよく見かけた言葉は、「気持ちを引き締める」というのであったように思いますが、それがいつから「気持ちを切り替える」に変わったのでしょうか。
 「気持ちを切り替える」という言葉は、本人が口に出すことは稀だと思います。上に引用した記事もまさにそうであって、発言した言葉は「ここに座ったまま落ち込んでなんかいられない」ですが、それを記者が「気持ちを切り替えていました」と表現しているのです。負けた力士などがすぐに「明日から気持ちを切り替えて、頑張ります」などという気持ちになれるでしょうか。ちょっとした言葉の端々をとらえて、「〇〇関は、気持ちを切り替えていました」と、記者が表現しているのです。ほんとうに気持ちが切り替えられているとは思えないような場合にも、この言葉が使われていると思います。この表現は、本人にとっては、大きなお世話であり、ありがた迷惑な表現であるのかもしれないのです。

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