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2020年9月22日 (火)

ことばと生活と新聞と(214)

「今ほど大事なときはなさそうだ」という表現


 テレビなどのニュースを見ていると、お詫びの画面は日常茶飯事となっています。したがって、問題を起こせばお詫びをすればよいではないかと考えている人もいるように感じられます。本心からお詫びをしていない人は、瞬時に化けの皮がはがれているようにも感じられます。
 そもそもお詫びの言葉が定型化していて、言葉だけで済ませようとしている人も多いと思います。お詫びの言葉は、「深くお詫びします」、「心からお詫びします」、「謹んでお詫びします」などという言葉で綴られています。深くないお詫びや、心からでないお詫びや、謹んでいないお詫びなどはありえません。けれども「深く」、「心から」、「謹んで」という言葉を使えばよいと考えている人もいるようです。中には、「深く、深く、深く……」などと言う人もいます。言葉を重ねたらよいというものではありません。
 話題が少し変わりますが、こんな文章を読みました。

 かつての貴族や大金持ちの贅沢ではなく、人々の小さな贅沢が経済を回すのが現代である。コロナ終息後にやりたいもののリストは長くなるが、当面の役には立たない。雇用の悪化を止める政府の役割が今ほど大事なときはなさそうだ。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2020年8月18日・朝刊、14版、1ページ、「天声人語」)

 これはコラムの最終段落の全文です。「コロナ終息後にやりたいもののリストは長くなるが、当面の役には立たない。」とありますが、「コロナ終息後にやりたいもののリストは長くなる」という意味が理解できません。膨大なものになるという意味なのか、すぐには提示できないという意味なのか、理解ができません。「当面の役には立たない」というのも何を言っているのかわかりません。
 そして、末尾の言葉「雇用の悪化を止める政府の役割が今ほど大事なときはなさそうだ。」という表現は、言葉だけで強調していることの典型的な見本です。「雇用の悪化を止める政府の役割が大事だ。」と言いたいことは理解できます。それを「今ほど……なときはなさそうだ。」と言うのは言葉だけで強調している表現です。
 「今ほど」というのは文章を書いている時点です。文章を書いている人の頭の中はそういう思いでいっぱいなのでしょう。ちょっと時間が経過したら、また違った思いも浮かんでくるかもしれません。「今が大事だ」「今ほど大事なときはない」というのは、強調表現であるというに過ぎません。「今が」とか「今ほど」というのは、言葉のあやでしかないと思います。今という瞬間が、本当に岐路に立つようなときであるのなら、きちんと説明して、理解を得るような表現が必要です。
 しかも「今ほど大事なときはない」と断言しないで、「今ほど大事なときはなさそうだ」という回りくどい表現(一歩、引き下がったような表現)は何なのでしょうか。自信がないのに強調しているだけの文章です。コラムの文章を、文章の模範であるかのように考えて、読者に書き写させようとするのなら、もっと熟した文章を書いてほしいとお願いします。

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