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2020年10月16日 (金)

ことばと生活と新聞と(238)

「コミュ力」とは、言葉の表面的な力のことか


 コミュニケーションとは、言葉などによって思考・意思・感情・情報などを交換したり伝達したりすることだと思っています。したがってコミュニケーション能力とは、そのような交換・伝達をする力のことだと理解していました。私は、何でもつづめて言ってしまうことには良い感情を持っていませんが、コミュニケーション能力を短く言うと「コミュ力」という言葉になるのだろうと思っていました。
 ところが、そのような考えはどうも間違っているような気がしてきました。それは、次のような文章を読んだからです。

 コミュニケーション能力は、現代社会で重要視されている能力のひとつだ。いわゆる「コミュ力」は、一般に、研究者や学者には欠けていると評されることが多い。 …(中略)…
 相手との共通点を素早く見いだし、会話を繰り広げる様子を見て、「真のコミュ力とはこういうことか」と思ったのをよく覚えている。 …(中略)…
 職種や経歴、年齢層が異なる相手でも、お互いに楽しめる会話をする。それには幅広く豊かな知識が必要だ。かつては教養と呼ばれていたものこそが、この能力の本質かもしれない。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2020年9月2日・朝刊、13版S、24ページ、「郡司芽久のキリン解体新書」)

 要するに、クイズは演者と視聴者のあいだの一種のコミュニケーションツールになっている。そのなかで「東大生タレント」は、「勉強ができる」という従来の東大生のイメージを崩すことなく、同時に親しみやすさを感じさせることに成功している。そのあたり、彼らもまた〝コミュ力の時代〟を象徴する存在と言えるだろう。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2020年9月12日・朝刊、14版、21ページ、「令和テレビ時評」、太田省一)

 上の2つの文章から、現代社会で求められている「コミュ力」のことを述べている部分を抜き出すと、「相手との共通点を素早く見いだし、会話を繰り広げる」、「職種や経歴、年齢層が異なる相手でも、お互いに楽しめる会話をする」、「演者と視聴者のあいだの…ツールになっている」、「親しみやすさを感じさせる」ということになるでしょう。
 「コミュ力」とは、「言葉の力」や「伝達能力」とは異なった意味で使われているように感じるのです。「言葉の力」や「伝達能力」は言葉を用いて行う根元的な力であるのに対して、「コミュ力」は表面的な、他人との付き合い方のような意味が強いように思います。「相手」や「視聴者」に好印象を与える力のようです。
 話は異なりますが、「グローバル教育」ということが叫ばれています。英語が話せるようになったり、パソコンが自由に使えるようになったり、討論能力や説明能力が高まったりすることのようです。グローバル化している企業戦士を育てる力にはなっているかもしれませんが、すべての国民にとって必須不可欠な能力ではありません。
 「コミュ力」も同じように、企業戦士を育てることには役立つかもしれませんが、国民必須の能力ではないでしょう。国語能力とか言語能力の基本を考えないで、上に述べたような「コミュ力」を高めてもしかたがありません。「グローバル教育」とか「コミュ力」というカタカナ語を使って、価値あるもののように装うことはやめてほしいと思います。

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