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2020年10月 4日 (日)

ことばと生活と新聞と(226)

言葉に対する教育的配慮


 日本語の使い方について 子どもたち向けに書く文章は、正しい言葉遣いを伝えることを主眼に置くべきでしょう。人々が使う言葉遣いの中には、新しい言い方や、言葉の決まりに外れた言い方も混じっていますが、そんなことを子どもたちに教える必要性は小さいと思います。
 大人でさえ気づいていない、あるいは使ったこともない規格外の言い方を、子どもたちに向かって説明する文章を読んで驚きました。

 「分かりみが深い」という言い方を、最近、使う人が多くなりました。たとえば、友だちの話に共感したときに使います。「分かりみがすごい」「分かりみ~」とも言います。意味は「本当にそのとおりだと思う」ということです。
 もともと「み」は「感じ・度合い」という意味で使うことばです。「この写真は赤みが強い」と言えば「赤い感じが強い」ということ。その用法が広がり、「つらみ」(つらい気持ちだ)とか、「うれしみ」(うれしい気持ちだ)とか言うようになりました。今では、「つらさを感じる」「うれしさを感じる」のように「さ」だけを使っていました。
 「み」はさらに用法が広がり「カラオケ行きたみ!」などと言う人も現れました。昔なら、やはり「さ」を使って、「カラオケに行きたさが強まった」と言うところです。
 そして、さらに発展した「分かりみ」ということばまで出てきました。これは「さ」を使って「分かりさ」と言うことはできないので、まったく新しい言い方です。
 (飯間浩明、『日本語をつかまえろ!』、毎日新聞出版、2019年11月30日発行、176ページ)

 子ども向けの文章としては、実に乱暴な書き方です。筆者の言うことは正しいのだから、それを信じなさいと言わんばかりの表現です。
 〈「分かりみが深い」という言い方を、最近、使う人が多くなりました。〉と書いていますが、使う人が多くなったというのは事実なのでしょうか。子どもたちの使い方でしょうか、青年たちの使い方でしょうか。大の大人が多く使っているようには思いません。
 たとえ「分かりみがすごい」「分かりみ~」という言い方が行われているにしても、子どもたちには、「本当にそのとおりだと思う」という言い方を教える方が正統だと思うのです。
 接尾語の「み」は、形容詞の語幹に付いて、高み、深み、重み、弱み、苦み、暖かみ、などという言葉になることが多いのです。形容動詞の語幹に付いて、真剣み、新鮮み、などという言葉になることもあります。一見、動詞に付いているようにみえる、茂み、という言葉もありますが、動詞に付くことは特例です。
 筆者は、接尾語「み」と接尾語「さ」を同じ意味・用法のように説明していますが、同じではありません。「つらみ」と「つらさ」には意味の違いがありますが、それを無視して子どもたちに説明したのでは、言葉の感覚が伝わりません。
「カラオケ行きたみ!」の「た」は願望を表す助動詞です。助動詞に「み」が付くことはどう説明するつもりなのでしょう。
 要するに「分かりみ~」などという使い方は、従来から存在している接尾語の「み」や「さ」とは無関係に、願望を表す接尾語(?)「み」が突然のように現れてきたのかも知れません。接尾語とまでは言えないかもしれません。書き言葉には現れない、話し言葉だけの発音現象に過ぎないのですから。
 これまで日本語の中にあった接尾語「み」と無理やりに結びつけようとすると、無理が生まれてくるでしょう。子どもたちには、そんなことは理解できないでしょう。
 筆者はこの項目の最後で、「愛用者は増えるのではないでしょうか。」と書いています。国語辞典編纂者が、「分かりみが深い」などという言い方を(子どもたち巻き込んで) 増大させようという意図が働いているようにも感じます。子どもたちには、このような言葉遣いを排除するように指導することこそが、教育的な配慮であると思うのです。自重を求めたいと思います。

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