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2020年10月 2日 (金)

ことばと生活と新聞と(224)

「全然+肯定」の語感


 語感というものには個人差があるのは当然ですが、あまりにも個人的な考えを強く出されると困るように思います。
 こんな文章がありました。

 「全然大丈夫」という言葉を初めて耳にしたのは20年ほど前だったか。その衝撃を今も覚えている。え、全然は「全然知らない」など否定形につく言葉じゃないの。日本語の乱れここに極まれり。でも肯定で使ってみると面白みも感じた。
 すっかり定着した全然大丈夫だが、必ずしも誤用とは言えないらしい。言語学者加藤重広さんの『日本人も悩む日本語』によると「全然+肯定」の用法は江戸時代から見られ、明治になっても珍しくなかった。 …(中略)…
 「全然+肯定」に戻ると、今の使い方は配慮の意味もあるらしい。「私の料理、おいしくないでしょ」に対して「全然おいしい」と言えば、優しさがにじむ。言葉は、人と人とのつながりも映し出す。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2020年9月29日・朝刊、14版、1ページ、「天声人語」)

 引用した文章のうち、前半の2つの段落については異論はありません。よく知られていることが述べられているのです。
 後半の1つの段落は、コラムの最後の段落からの引用ですが、「言葉は、人と人とのつながりも映し出す」という、まとめの言葉にも異論はありません。
 疑問に思うのは、「全然+肯定」という表現のことを「今の使い方は配慮の意味もあるらしい。」と述べているところです。言語学者の名前などを出していないところから判断すると、筆者独自の考えを述べているのでしょうか。
 「全然+肯定」の使い方に配慮の意味があると、本当にそんなことが言えるのだろうかという疑問が残ります。
 「私の料理、おいしくないでしょ」に対して、「全然おいしい」と言ったとしても、単語と単語の関係として優しさがにじむということではないでしょう。発言者の優しさは「おいしい」という言葉に込められているのであって、「全然」という言葉によるのではないと思います。「いえいえ、本当にうまいですよ」と言っても、配慮は表現できます。配慮は、その表現全体に込められているのであって、「全然+肯定」であれば、いろいろな場面で、配慮の気持ちが表現できるなどということはあり得ないと思います。
 こんなことを考えてはどうでしょうか。「私の料理、おいしくないでしょ」に対する言葉として「全然おいしい」と答える、「全然」と答える、「おいしい」と答える、の3つを比べてみましょう。
 「おいしい」という言葉だけでも、言い方しだいで配慮の気持ちは表現できます。「全然」だけではぶっきらぼうです。「全然」のどこに配慮の気持ちがこもっているのでしょうか。
 コラムの筆者は、「とてもおいしい」という言い方に比べて、「全然おいしい」は心からおいしいとは思っていなくても、口をついて出る配慮の言葉だと言いたいのでしょうか。そんな中途半端な言葉遣いであるのなら、かえって気まずい雰囲気を作り出してしまうかもしれませんね。

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