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2020年10月27日 (火)

ことばと生活と新聞と(249)

新聞は、耳で伝わる文章を心がけてほしい


 新聞は文字言語を使い、ラジオは音声言語を使うということは当然です。けれども、例えばニュースなどの言葉を眺めると、同じ日本語でありながら、新聞の言葉は粗っぽいという印象はぬぐえません。
 ニュースで使われているラジオの言葉は、そのまま文字に直しても通用します。けれども、やたらに符号などを多用している新聞の言葉は、声に出して読むと奇妙なものが多いと思います。新聞の書き方は、一般の書き言葉とは違うと言ってもよいでしょう。
 例えば、ある日の新聞から引用しましょう。

 学校と保護者の連絡手段を「紙」から「デジタル」にし、ハンコは省略--。文部科学省は20日、全国の教育委員会や都道府県にそんな通知を出した。押印を省き、メールなどを使うことで保護者の負担を減らし、教員の業務効率化を図る。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2020年10月21日・朝刊、14版、1ページ、伊藤和行)

 子どもが自宅などに置き去りにされ、死亡する事件が相次いでいる。なぜ保護者は誰も頼らず、子どもを死なせてしまうのか。育児で孤立感を深める「弧育て」を防ぎ、子どもの命を守るために何ができるのか、模索する人々の取り組みから3回で考える。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2020年10月21日・朝刊、13版S、17ページ、中井なつみ)

 東京から地方に移り住んで拠点を構える落語家が相次ぐ。演芸は人口の多い首都圏や関西圏でしかできないと考えられてきた。政府機関の先を行く(?)移転に、どんなそろばんをはじくのか。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2020年10月21日・朝刊、13版S、26ぺージ、井上秀樹)

 いずれも記事の冒頭の部分からの引用です。
 一つめの記事。「紙」、「デジタル」とカッコ書きになっていますが、朗読するとカッコの意味は消えてしまいます。カッコを付けることに特別な意味があるのなら、それを言葉で説明すべきでしょう。そして、文末を -- にすることも、朗読したら語感は消えてしまいます。しかも、ぞんざいな書き方という印象だけが残ります。
 二つ目の記事。「弧育て」という文字遣いは、朗読したら伝わりません。「子育て」と同音の言葉を使うことは望ましいことではありません。この記事は3回の連載になる予定ですが、「模索する人々の取り組みから3回で考える。」という文は、おかしな日本語になっています。
 三つ目の記事。朗読すると、(?)を付けた語感などはまったく伝わりません。
 ここで指摘したことは、新聞の文章は、言葉を練る努力をしないで、符号などを使うことによって逃げようとしているのです。言葉をうまく使おうとする努力を放棄していると言ってもよいでしょう。
 要するに、符号を多用し、略語や新語(勝手に作った言葉)を多用する言葉遣いは、目に訴える働きはあっても、日本語の本来の言葉遣いとは行き違ってしまっているのです。新聞はそのような言葉遣いに疑問を持たず、使い続けているのです。早く気付いて、改めてほしいと思います。
 新聞は、「視覚に障害のある人のことも考えて」などと殊勝なことを言っていますが、現実はそのようにはなっていません。耳だけで(朗読を聞くだけで)伝わる日本語を用いて表現すべきでしょう。

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