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2020年10月15日 (木)

ことばと生活と新聞と(237)

「アメ村」よりも「ア村」の方がよい


 固有名詞の書き方などで、昔の新聞にあったけれども、今は消えてしまっていることがあります。例えば、ニュージーランドを「ニ国」と書いたり、トランプ氏を「ト氏」と書いたりすることです。見出しなどで見かけることが多かったように思います。この書き方を見ると、本当は長いカタカナを書きたいのだけれども、スペースの都合で申し訳なく短く書くというような気持ちが現れていたように思います。敬意がある書き方のように感じておりました。
 今はどうなっているでしょうか。遠慮会釈なく、勝手に短く切り貼りした言葉を作り出すのが新聞の流儀のようになっています。
 例えば「アメ村」というような表記です。大阪のことに詳しい人ならば「アメ村」がアメリカ村のことを指していることはわかるかもしれませんが、飴村とか雨村とかを思い浮かべることもあるかもしれません。
 冒頭の一文字を使って表すということと、いくつかの文字を切り刻んで表記するということとは、考え方が異なっているように感じています。
 「アメ村」を使った見出しは、〈都構想PR旗、市が撤去指導 / アメ村の商店会に〉であり、記事には略称は書かれていません。

 大阪維新の会がつくった都構想推進を呼びかける旗を、大阪・ミナミの商店会組織「アメリカ村の会」が街路灯に設置し、大阪市が撤去するよう指導したことがわかった。 …(中略)…
 旗には「都構想にYESを。変えるぜ、大阪。」などと書かれており、市によると、今月1日からアメリカ村の街路灯に設置されている。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2020年10月7日・朝刊、14版、27ページ)

 「ア村」と書いたら、アメリカ村、アルゼンチン村、アフガニスタン村などと想像される範囲が広がるという懸念があるかもしれませんが、それなら略称など使うことはやめるべきでしょう。前述の通り「ア村」には敬意を感じても、「アメ村」のぞんざいさには敬意は感じられません。
 ソビエト連邦をソ連と言うのは、「ア村」と言うのと同じような理屈で、通称が定着したものでしょう。
 固有名詞などの言葉に対する敬意が喪失したら、言葉を扱う人としての資格はないように思います。

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