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2020年10月 6日 (火)

ことばと生活と新聞と(228)

長々としたカタカナ語も短歌には詠める


 俳句と短歌とで異なることはいろいろありますが、外来カタカナ語の扱いもそのひとつであるのかもしれません。新聞の俳壇・歌壇のページを見ていると、そのことを強く感じます。
 歌壇で選ばれた歌に次のような歌がありました。

 また今日もソーシャルディスタンスと言うの? 感染予防距離と言わずに (神戸市)康 哲虎
 「宿題はまだステイホームしています」言い切る生徒の意外な機転 (ふじみ野市)片野里名子
 (朝日新聞・大阪本社発行、2020年9月27日・朝刊、13版、11ページ、「朝日俳壇・歌壇」)

 前者の歌は高野公彦、馬場あき子の両歌人の選、後者の歌は高野公彦さんの選です。俳句にはこんなカタカナ語を使う余裕(音数の余裕)はないでしょう。何でもかでもカタカナ外来語で表現することを苦々しく思っている人は多いと思いますが、歌人も同じ思いなのでしょう。日本語で表現しようと思えばできるのに、簡単にそういう営みを放棄してしまうのは、医療関係者の一部であり、報道関係者の大部分であるのでしょう。
 「ソーシャルディスタンス」などという言葉に出くわすたびに苦々しく思っている人がいるのです。この歌を2人の歌人が選んでおられることに同感します。
 宿題が「ステイホーム」しているから提出できないという機転(屁理屈?)は、カタカナ外来語ゆえのものでしょう。これもカタカナ外来語への批判の気持ちが入っているのかもしれません。
 このような使い方はあっても、カタカナ外来語を歓迎して歌に詠み込むということはなかなかできないだろうと思うのです。

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