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2020年10月13日 (火)

ことばと生活と新聞と(235)

下品な感じの記事


 夏目漱石の「吾輩は猫である」をはじめとして、言葉を操れない動物を擬人的に登場させる文章があります。そのことには何の違和感も持ちません。面白く感じる場合もあります。
 けれども、語る言葉には節度が必要でしょう。ニュース解説の問答に動物を登場させる記事がありますが、いかにも下品な感じは否めません。こんな書き方を決めたのは誰であるのか知りませんが、長い間にわたって連載が続いています。
 そのひとつに、「新しい最低賃金が決まったんじゃな」という見出しの記事がありました。ホー先生というのが登場するのですが、そのホー先生の語り口は次のようになっています。(発言部分のみ引用)

 ホー先生  新しい「最低賃金」が決まったのか?
 ホ  今年はいくらかな?
 ホ  引き上げ額の目安はどう決めているんじゃ?
 ホ  ホホウ!
 ホ  なぜ引き上げた地域が多かったんじゃ?
 (朝日新聞・大阪本社発行、2020年8月30日・朝刊、14版、2ページ、「いちからわかる!」、岡林佐和)

 どうして質問する側が「先生」なのか。その先生を擬人化する必要がどこにあるのか。そういうことはわかりませんが、この体裁での連載(何日かに1度ずつ)が続いています。
 断定の助動詞には「だ」の他に、関西方言的な「や」があり、やや古風な「じゃ」があります。「じゃ」は現在では方言的な色合いがあると言ってもよかろうと思います。しかも、使い方によっては、「じゃ」は偉そうに聞こえたり、ぞんざいな感じが伴うことがあります。この連載記事がどうして「じゃ」という言葉をホー先生の口癖にしたのか、理解できません。印象が悪いのです。
 このような書き方をする利点がどこにあるのかわからず、むしろマイナス面のみが気になってしまう記事であるのです。
 1カ月の新聞すべてを調べても、「じゃ」という助動詞はこの記事だけで使われているということになるのではないでしょうか。こんな下品な書き方の記事は教育的ではなく、NIEで取りあげる気にはならないでしょう。

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