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2020年11月22日 (日)

ことばと生活と新聞と(275)

カタカナ語でもアルファベット略語でもない言葉


 新聞はカタカナ語やアルファベット略語が大好きですが、そんな言葉を使わない例が、わずかですが、あります。
 その言葉についての例を、3か所から引用します。

 原発から出る「核のごみ」(高レベル放射性廃棄物)の最終処分場をめぐり、梶山弘志経済産業相は17日、国の選定プロセスの第1段階である「文献調査」を、北海道の寿都町と神恵内村で始めるための計画を認可した。 …(中略)…
 核のごみの後始末は原発を使い始めた当初からの懸案。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2020年11月18日・朝刊、14版、1ページ、小坪遊)

 「核のごみ」問題で久しぶりに動きがあった。原発の使用済み燃料から出る高レベル放射性廃棄物の処分地選びをめぐり、北海道の寿都町と神恵内村が調査に手を挙げた。 …(中略)…
 核のごみは、10万年は隔離する必要があり、世界でも地下深くに埋める地層処分が採用されている。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2020年10月15日・夕刊、3版、5ページ、「e潮流」、佐々木英輔)

 原発の使用済み燃料から出る「核のごみ」、高レベル放射性廃棄物の最終処分地選びをめぐる動きが北海道で相次いでいる。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2020年10月5日・朝刊、13版S、7ページ、「記者解説」、佐々木英輔)

 「核のごみ」の問題は日本だけにある問題ではありません。それをどういう言葉で表現するかということになりますと、新聞社の従来のやり方は外国語(多くの場合は英語)の表現をカタカナ書きにしたり、原語の綴りから何文字かのアルファベット略語を作るということでした。どうして「核のごみ」が日本語で書かれているのかはわかりません。
 けれども、このような書き方に接すると、新しい概念や物などについて、カタカナ語で表したり、アルファベット略語で表す必要はないように思われるのです。「核のごみ」という言葉で意味が理解できますし、アルファベット略語を覚えたり、カタカナ外国語の意味を理解する必要はないのです。日本語のままで通じるのです。
 ひとつの記事の中で、同じ言葉を何度も使う必要がある場合にアルファベット略語を使うということが多いのですが、「核のごみ」という言葉を何度も使っても、文章は不自然なものにはならないと思います。短い日本語を工夫すればよいのです。
 これから後に、「核のごみ」という言葉を、カタカナ語やアルファベット略語に置き換えることはしないでください。このままの方がよいと思います。そして、できることなら、カタカナ語やアルファベット略語で表現しているものも、短い日本語で表現するように工夫して、日本語の文章を守ろうとする姿勢を示してほしいと願うのです。
 専門用語を使う必要がある場合は、外国語を紹介することがあってもよいでしょうが、たいていの表現は日本語でこと足るはずです。日本語は優れた言葉ですから、外国語に頼る必要はないと思います。

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