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2020年11月27日 (金)

ことばと生活と新聞と(280)

日本の言葉は本当に大丈夫か


 言葉は時代とともに変化していくものです。一つ一つの現象を乱れであると考えなくてもよいのかもしれません。けれども現今の日本語の様子は、自然な変化ではなく、意図的なものがたくさん含まれています。あまりにも酷いと思うものがあります。
 こんな文章を読みました。

 英語話者から見れば奇っ怪な言葉が我が国に氾濫しているようだ。改善を求めて通訳や研究者が「日本の英語を考える会」を発足させた。そのウェブサイトを見ると「Go To トラベル」がやり玉にあがる
 toの後に来るべきは、京都や学校といった目的地を表す名詞だからだ。ウィズコロナやハローワークなど和製英語は世に多く、必要な情報が外国人に伝わらない恐れがあるという。変な英語もご愛敬と言ってはいられないか
 カタカナ語でもう一つ気になるのは、悪い印象を薄める意図をときに感じることだ。国民総背番号がいつしかマイナンバーになり、感染爆発でいいのにオーバーシュートと言う。行政発の新語にはとくに用心したい
 いまカタカナで人々を煙に巻くとしたら……。えー、コロナとエコノミーの問題に関しましては、Go Toイートとマスクをコラボさせることによりソリューションを見つけたい、かように考えます。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2020年11月20日・朝刊、14版、1ページ、「天声人語」)

 ここに書かれていることにはすべて賛成です。和製英語やカタカナ語だけに問題があるのではありません。和製英語やカタカナ語を使うことを止めればすむ問題ではありません。日本語そのものに大きな悪影響を与え続けています。
 行政やマスコミがおかしな日本語を使い続けています。そのことは私のブログの連載で指摘を続けているとおりです。さらに、国語辞典の編纂者が興味本位の言葉を探し出してあおりたてることもしております。行政、マスコミ、国語辞典編纂者には、気持ちのよい日本語を使おうという姿勢が欠けてしまっています。
 新聞が行政を批判するのはよいと思います。けれども新聞自身の反省が行われていないのは問題です。
 行政の使う言葉がおかしいという判断を新聞が下せないというのは情けないことです。たとえ行政が使おうと、新聞はおかしいと思う言葉は使わないで、新しい表現を工夫すべきです。行政の言葉遣いに対する批判もしないで、行政が使う言葉をそのまま使って、読者に伝えています。しかもカタカナ語を短く省略したり、アルファベット略語を作ったりして、悪影響を増幅して、行政に迎合しているのです。
 私は、新聞や放送が日本語を壊す役割を果たしていると、これまでにも書いてきました。日本語を気持ちのよい方向に育てようとする姿勢が欠けていると思うのです。
 引用した「天声人語」の内容には賛成しますが、それでおしまいではありません。新聞を代表するコラムは、行政批判で終わってはいけません。新聞社の、日本語に対する姿勢を変化させるように働きかけなければ、このコラムの役割は果たせていないと思います。

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