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2020年11月12日 (木)

ことばと生活と新聞と(265)

内容が重複した記事


 新聞と言えども、人間が作るものですから間違いがあるのは当然のことでしょう。けれども、こんなことも起こるのかという、驚くようなことがありました。
 こんな訂正記事がありました。

 6日付金融情報面「経済気象台 虚偽情報が拡散する理由」は10月13日付で掲載したものと内容が重複していました。編集作業を誤り、確認も不十分でした。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2020年11月7日・朝刊、14版、32ページ、「訂正して、おわびします」)

 いえいえ、別に驚きませんよ。前日の夕刊に載せた記事と、ほとんど内容の異ならない記事を翌日の朝刊にも載せるということが横行しています。夕刊廃止の前提条件を作ろうとしているのだろうと思っていますから、夕刊廃止の日が来るまでそれを続けてください。 それにしても、同じ場所に載せる記事が重複していたなどということは、なかなか起こることではありませんから、貴重な例になりました。新聞社には校閲部があるのですが、校閲の機能が働いていないことが明らかになりました。社内の何人もの目がそれを見逃していたのです。外部から指摘されて、やっと気がついたということでしょうから、恥ずかしい限りです。校閲の不備については、私のこのブログでも指摘してきましたが、やっぱり校閲というのは形だけのものであったのだと納得しました。前回のブログに書いた「政治的方言」という言葉遣いも、校閲にあたったすべての人が見過ごしてしまったことなのでしょう。
 私がブログに書いたものは常に新聞社に知らせていますが、まったく返事はありません。新聞社の姿勢そのものが大きな問題をはらんでいるのです。一人一人の読者の言うことなどは無視せよという指示が、会社の上層部から出ており、記者はそれを忠実に守っているのだろうと思います。メールの宛先を、記事に署名されている記者本人あてにしても、返事を書く気持ちなど持ち合わせていないようです。
 さて、上の訂正記事と同じ11月7日の別の記事も、内容が重複しています。いろんな文章でしきりに話題になっている内容を、またもや読まされたという印象です。こんな文章です。

 ビルの壁面に、ACジャパンの大きな広告。白血病から復帰したサッカーJ2リーグの早川史哉選手が〈〔骨髄ドナーのおかげで〕僕は再びこの場所に戻ってこれた〉とドナー登録を呼びかけています。
 広告に力強さを与えているのは〈戻ってこれた〉の部分。教科書的には「こられた」となるところですが、会話体の「これた」のほうが選手の肉声という感じがします。
 「食べられる」を「食べれる」、「こられる」を「これる」と言うのは、いわゆる「ら抜きことば」です。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2020年11月7日・朝刊、be3ページ、「街のB級言葉図鑑」、飯間浩明)

 写真は最近に撮られたものでしょうが、記事として載せる値打ちはありません。「ら抜き言葉」はもう20年も30年も前から話題になっていたことです。陳腐限りない話題です。なぜこんな文章を載せるのでしょうか。校閲がきちんと行われていないような気がします。校閲をして、こんな記事を出すことを筆者に思いとどまらせることはできなかったのでしょうか。書き言葉としての「こられる」が話し言葉では「これる」になることは、しばしば起こっているのですが、話し言葉では「ら抜き」の方が多いと言えるのか、断言できないと思います。「ら抜き」で話したくないと考えている人たちも多いはずです。
 記事の中で使われている「教科書的」という言葉と「会話体」という言葉は、対になるものではありません。
 最近の「街のB級言葉図鑑」は、話題が底をついてきて、こんな話題でも書かなければならなくなってしまったのでしょうか。校閲部の「思いやり」から、このような批判は筆者に届かないようなしくみになっているのでしょうか。

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