2019年9月15日 (日)

明石日常生活語辞典・追記(7)

さん、ちゃん、はん、やん、たん


 古くからの集落には家号(屋号)が伝わっています。私の住む地域にも残っています。〇〇さんという呼び名の「はっちょみさん」「もよみさん」。〇〇ちゃんという呼び名の「たんちゃん」「よんちゃん」。〇〇はんという呼び名の「くろべはん」「ごえはん」「じゅうべはん」「せえべはん」「たろべはん」「はちべはん」「まごべはん」。〇〇やんという呼び名の「こさやん」「しょうやん」「にさやん」などです。わが家は「せいはっつぁん」または「せえはったん」と呼ばれていますが、これは、清八さん、清八ちゃん、清八はんなどの発音が崩れたものでしょう。
 「さん」などの接尾語は、家号だけではなく、人名にも使われます。
 これらの愛称のうち、「やん」について書かれた、こんな文章を読みました。


 友人知人のひとりやふたり、「やん」づけがいるはず。私の同僚にもいる。いもやん、かじやん、つかやん。名字の上半分に「やん」を足した愛称が基本で、男性に使われることが多い。 …(中略)…
 落語でも「やん」はおなじみだ。上方落語の「七度狐」は喜六、清八コンビがお伊勢参り道中、狐にだまされる話。清八は「清ぇやん」だ。
 なぜか許してしまう、心をくすぐる魔法の言葉が「やん」かも。「大阪ことば事典」(牧村史陽編)にこうある。「サン」がなまって変わったもので、親しい間柄に用いると。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2017年4月5日・夕刊、3版、2ページ、「まだまだ勝手に関西遺産」、河合真美江)

 上の引用文は、家号ではなく人名について書かれています。その文章のうち、「名字の上半分に『やん』を足した愛称が基本で」という部分には異論があります。名字の上半分に付くこともありますが、どちらかというと、氏名の「名」の上半分に付くことが多いように思います。
 面白いのは、落語の清八は「せぇやん」ですが、わが家の家号は「せえはったん」です。

 ところで上の記事の見出しは「仲良しの証し 魔法やん」と書いてあるのですが、「魔法やん」の「やん」は、掛詞的な使い方です。
 この「やん」は終助詞です。「明石日常生活語辞典」では、「相手に語りかけて、念を押したり同意を得たりするような気持ちを表す言葉」と説明しました。「魔法やんか」と言っても同じような意味です。

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2019年9月14日 (土)

明石日常生活語辞典・追記(6)

しーこいこい


 「明石日常生活語辞典」では、「栄養分を吸収したあとの老廃物として、体外に排出される液体。また、それを排出すること」という説明を書いています。どういう言葉について説明しているのか、おわかりでしょう。この辞典では、単に言葉を置き換えるのではなく、その言葉の持つ意味を説明しようとしています。
 その言葉は、明石ではいろいろな言い方をします。載せている言葉を並べあげると、しょうべん、しょんべん、しょうよう、しい、しいこっこ、おしっこ、しょう、となります。「しゅうよう(小用)」は歳をとった人が使う言葉です。「しょう(小)」は、「しょー・の・ べんじょ(便所)・は・ いま(今)・ まんいん(満員)・や。」などという場合の使い方で、「だい(大)」に対する言葉です。
 子どもに向かって、「しーこっこし・と・なっ・たら・ はよ(早)ー・ ゆ(言)ー・て・な。」と言うことがありますし、小便を促すときには「はい・ しーこっこ・ しーこっこ」と言うこともあります。「しーこいこい」とも言います。
 大人同士で、「びーる(ビール)・を・ よーけ〔沢山〕・ の(飲)ん・だら・ しーこっこ・が・ し・た・なる・なー。」などと言うこともあります。
 その「しーこいこい」について書かれた、こんな文章を読みました。


 1965年に出版された「上方語源辞典」(前田勇編、東京堂出版)をひもとくと、「小児に小便をさせる時にいう」とちゃんと書かれている。その昔、小便を指していた「しし」を略したのが「しー」。「こいこい」は犬などを呼び寄せる時のことばなのだそう。合体して「しーこいこい」? おしっこをなかなか出せない子どもをなだめるために、犬の名などを呼んでいた名残ということらしい。 …(中略)…
 撮影のために、お邪魔させてもらった大阪府門真市の「おおわだ保育園」の馬場睦代園長(47)に聞いてみると、「私の子どものころは家で『しーこいこい』って言われていましたけど、若い保育士さんたちに聞いてみたら『しーしー』がほとんどになっていましたよ」
 (朝日新聞・大阪本社発行、2014年4月16日・夕刊、3版、2ページ、「まだまだ勝手に関西遺産」、篠塚健一)

 「しー」や「しーこっこ」は擬態語・擬音語と言ってよいでしょう。そのものを直接に表すよりも、婉曲的な言葉を使って表現しているように思われるのです。関西の言葉には擬態語・擬音語があふれているのです。

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2019年9月13日 (金)

明石日常生活語辞典・追記(5)

仲間内の言葉を作り上げる


 小さな子どもが言葉を覚えるときは、周りの人が使っている言葉を真似て使うようになって、その使い方に慣れて、身に付いていきます。言語形成期という時代に身につけた言葉は、修正しようとしてもなかなかうまくいかないこともあるようです。
 けれども、東京の大学に進学した若者が、短い期間に東京言葉を身に付けてしまうこともあって、驚きます
 こんな記事を読みました。全国高校野球選手権大会に出場した中京学院大学中京高校の野球部について書かれた文章です。


 野球部は全寮制で、部員には兵庫県や大阪府出身者が多い。地元の岐阜県民は、元君(多治見市出身)を含めて3分の1ほど。
 「壁」となったのは言葉だ。「なにやっとんねん」。練習中にミスをすると関西弁でげきが飛ぶ。岐阜出身の増田大晟君(3年)は「突然怒ったのかと思ってびっくりした」と明かす。
 互いの言葉に慣れず、寮でも学校でも距離が縮まらない日が続いた。ある日、関西勢が岐阜県東濃地域でよく使われる「~やもんで(だから)」「~やら(だね)」といった方言に興味を示し、口にし始めた。
 しばらくすると、岐阜県民も「正味な」「ちゃうやん」などの関西弁を使うようになった。今では出身地域に関係なく、みんながそれぞれ好きな言葉で話す。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2019年8月19日・朝刊、14版、26ページ、松山紫乃・藤田大道)

 方言は、仲間内の言葉だと言ってもよいでしょう。地元同士の間柄では地元の言葉を使い、関西人同士では関西弁を使います。異なった地域の人と話すときには、意識して全国共通語を使おうとします。
 高校の野球部員同士は仲間内ですが、出身地により基盤となっている言葉が違っています。この記事にあるような言葉遣いによって、新たな仲間内の言葉が形成されていくのは興味深いことです。
 練習中のミスに対して「なにやっとんねん」というげきが飛ぶのはもっともなことかもしれません。けれども、相手のミスをかばってやろうとするような気持ちがあるときには、「べっちょない」とか「だんだい」「だんない」のような関西言葉が飛び出してもよいのではないでしょうか。仲間内に、温かみのある言葉が少しずつ増えていけば嬉しいことだと思うのです。

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2019年9月12日 (木)

明石日常生活語辞典・追記(4)

よろしおあがり


 食べ物を前にして座ると、祖母の「よろしおあがり」という言葉が聞こえてくるような気持ちになることが、あります。
 祖母は、座った途端に「よろしおあがり」と言ったり、「いただきます」という言葉の返事のように「よろしおあがり」と言ったりしていました。食事がすんで「ごちそうさん」と言ったときにも、「よろしおあがり」という言葉を聞くこともありました。祖母の口癖のような言葉でした。
 この言葉は、子や孫のような家族に対してだけではなく、きちんとしたお客さんが来た場合にも使っていた言葉でした。
 祖母からは聞きましたが、母の口からはこの言葉は出ませんでした。母は「どーぞ食べなはれ」、「召し上がってください」のような言葉を使っていたように思います。食後の挨拶の場合は「よろしおあがり」ではなくて、「何(なん)もなしで、すんませんでしたなぁ」というような言葉で対応していたように思います。
 こんな文章を読みました。


 「よろしおあがりっ!」
 わが家で「ごちそうさま」と手を合わせると、料理を作った妻からこう返ってくる。妻の母親は大阪生まれ。母から娘に受け継がれた柔らかなことばが、食事を平らげた至福を一段とほっこり豊かな気持ちにしてくれる。 …(中略)…
 講談師の旭堂南陵さん(65)は著書で「絶滅危惧種の大阪ことば」に認定した。
 「よろしおあがりやす」とも、「よろしゅうおあがり」とも。食べる前、食べた後、食事中に誰かが訪ねてきたときのあいさつにも使われる。食後なら、「よく食べてくれてありがとう」というニュアンス。「お粗末さま」ほどへりくだるでもなく、「おいしかったやろ」の押しつけがましさもない。 …(中略)…
 「明治生まれの母親が使っていましたね」と、武庫川女子大学の言語文化研究所長を務めた佐竹秀雄さん(67)。「由来ははっきりしませんが、自分や料理でなく、相手のしぐさや気持ちに沿っているところが関西のことばらしいですね」
 (朝日新聞・大阪本社発行、2015年5月20日・夕刊、3版、2ページ、「まだまだ勝手に関西遺産」、田中章博)

 記事に書かれている内容に、すべて同感です。しかも、「明治生まれの母親」だけでなく、年若いと思われる記者の奥さんも使っているということに感服しました。
 「明石日常生活語辞典」では、「よろしおあがり」と「よろしゅうおあがり」の2つの形をあげて、「『いただきます』や『ごちそうさま』という言葉に応えて、どうぞ召し上がってくださいという気持ちや、よく召し上がっていただいたという気持ちや、お粗末さまという気持ちなどを述べる言葉」と説明しました。
 記事にある「『お粗末さま』ほどへりくだるでもなく」というところとは異なっているのですが、「お粗末さま」という言葉を口にしないが、そのような気持ちも感じられるというほどにご理解ください。
 この「よろしおあがり」は、大阪や京都などだけでなく、広く関西で使われていたと思いますが、次第に使われなくなっていることは残念なことです。

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2019年9月11日 (水)

明石日常生活語辞典・追記(3)

立ちしな・立ちし


 座っている状態から、立とうとする動作に移ろうとするときのことを、関西の言葉では「立ちしな」「立ちし」「立ちかけ」「立ちがけ」「立ちやけ」などと言います。「立ちしな」は関西の風情がよく出ていると思います。「立ちしな」を短く言うと「立ちし」になります。
 こんな文章を読みました。


 芥川賞作家で文化勲章を受章した田辺聖子さんが、6月に91歳で亡くなりました。田辺さんの手紙と音源が米朝家にあります。手紙は2002年6月13日の消印。和紙の便せんに柔らかな筆文字が綴られています。
 「老母は九十七才ですが、ゆうべのてんぷらも私よりたくさん頂き『ハイ、ごちそうさん』と立ちしなに私をじろりと見て、『あんまり飲みなさんなよ。あたま悪うなりまっせ。もう手おくれやろけど』……子を見ること、親に如かず、です」
 (朝日新聞・大阪本社発行、2019年8月15日・夕刊、3版、3ページ、「米朝物がたり」、小澤紘司)

 「明石日常生活語辞典」では、「しな」という、動詞の連用形に付く接尾語を、「①その動作などをする、ちょうどその時。②その動作をしている途中」と説明しました。
 新聞からの引用文は①の意味ですが、②の意味では「行きしな・に・ 土産・を・ こ(買)ー・ていく。」というような使い方をします。「行きしな」とも言いますし、「行きし」とも言います。ただし、前の動詞が1音節のときは、「寝しな」と言って、「寝し」とは言いません。

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2019年9月10日 (火)

明石日常生活語辞典・追記(2)

子取り


 「子取り」という言葉が方言であるのかどうか、よくわかりません。誰が聞いても意味がわかるように思いますが、「広辞苑・第4版」には、「①子供の遊戯の一。一人は鬼、一人は親、他はすべて子となって順々に親の後ろにつかまり、鬼が最尾の子を捕らえれば、代わって鬼となる。子をとろ子とろ。②産児を母体から取り出すこと」と説明されています。ここで述べるのは広辞苑に書かれているような意味ではありません。
 こんな文章を読みました。


 その頃の子供たちは、幼稚園や小学校から帰ると、往来や、町の川べりにある広っぱで、遊んでいた。親たちは夕方になると、早く家に戻れとうるさく言った。
 おそくまで外で遊んでいると「子取り」がきて、つれていかれるとおどすのだった。
 「子取り」を見たこともないのに、子供たちは、世にも恐ろしい者と信じていた。 …(中略)…
 子取りにさらわれると、サーカスに売られて、帰れないと聞かされていた。一年に一度、広っぱに来て、象色のテントを張るサーカスが好きになった私は、何とかしてサーカスにさらわれたいと、毎日、テント小屋にもぐりこんだものだった。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2019年7月11日・朝刊、13版S、31ページ、「寂聴 残された日々・49回」、瀬戸内寂聴)

 「明石日常生活語辞典」では、「子取り」を、「子どもをだまして連れていってしまうこと」と説明しました。追加して「また、子どもをだまして連れていってしまう人」と書くべきでした。
 子取りとは、誘拐であり、誘拐犯人のことです。誘拐というような言葉を知らない、小さな子どもにでも「子取り」という言葉は、恐ろしいイメージで迫ってきます。子取りに出会った後はどうなるのか、殺されてしまうのか、サーカスに売られてしまうのか、そんなことを考えるいとまもなく、「子取り」という言葉に促されるように、すぐに自分の家に駆け込むのです。
 家の中にいても、「子取り」の恐怖はありました。「親の言うことを聞かへん子は、子取りに連れていかれるぞ~」などと親に言われると、素直にならざるをえませんでした。
 「子取り」という言葉に恐怖を感じたのは何歳ぐらいまでだったのでしょうか。せいぜい小学生の頃までだったでしょう。周囲には、実際に「子取り」に連れていかれた子はいませんでしたが、ときどき誘拐事件が新聞に載りましたから、「子取り」には現実感も伴っていました。

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2019年9月 9日 (月)

明石日常生活語辞典・追記(1)

アップル


 「明石日常生活語辞典」で取り上げた言葉について書く連載を始めます。説明の補充であったり、説明の訂正であったり、あるいは、とりとめのないことを書き綴ったりの内容になると思います。
 「明石日常生活語辞典」は、一人で原稿を書いて作り上げた本であり、校正も一人でしましたから、書き漏らしたことや誤りなどがあるだろうと思います。もしかしたら、将来、この本の正誤表を作らなければならないことになるかもしれませんが、そのための基礎作業でもあります。

 さて、最初の話題は「アップル」です。こんな新聞記事を見ました。


 猛暑が続く中、神戸市長田区の「兵庫鉱泉所」でラムネの生産がピークを迎えている。昔ながらのガラス瓶にラムネが注がれると瓶の表面に水滴が浮かび、涼を感じさせる。
 1952年創業。ラムネのほかサイダーやアップル(みかん水)など7種類の清涼飲料水を製造している。
 (神戸新聞、2019年8月7日・夕刊、4版、1ページ、斎藤雅志)

 この記事には「ラムネ 涼を封じ込め 神戸・長田」という見出しがついていますから、話題の中心はラムネなのですが、「アップル」のことも書いてあります。「アップル(みかん水)」という表現に、あれっ?と思われるかもしれません。「アップル」と「みかん」が結びついているのです。
 「明石日常生活語辞典」では、「アップル」を、「りんごジュースのような味や風味がする飲みもの」と説明しました。
 この「アップル」について、2012年4月24日の朝日新聞・大阪本社発行の夕刊は、「180ミリリットル、120円。いまどま珍しい透明のガラス瓶。ものすご~く薄い黄色で、瓶を握る指が透けて見える」という記事を載せています。
 名前は「アップル」ですが、薄い黄色であるがゆえに「みかん水」というわけなのでしょう。みかんの果汁が入っていたとは思えません。私が子どもの頃、駄菓子屋で買ったアップルを飲むことがありましたが、アップルはラムネよりも安価であったように思います。
 子どもの頃は、それがどこで作られているのかは知らなかったはずですが、神戸の西部で作られていることは昔も今も変わらないでしょう。私自身には飲み物の色の記憶があいまいです。黄色であったかもしれませんし、紅色を帯びていたかもしれませんが、薄い色づけであったことは確かでしょう。
 「アップル」という名前で作られ続けているのでしょうが、近頃は見たことがありません。駄菓子屋さんを探索して「アップル」に巡り会ってみたいという気持ちになってきました。

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2019年9月 8日 (日)

明石日常生活語辞典の刊行について(8)

刊行の経緯について述べます(その2)


 「明石日常生活語辞典」の原稿は、自分ひとりの手仕事として書き続けてきました。パソコンを使いましたが、ワープロ機能だけで、高度な使い方はしておりません。手書きがワープロ印字になったというに過ぎません。ひとりの手仕事ですから、ミスもあると思います。何度も何度も全体を通して読み直しましたが、ミスが皆無であるとは思いません。多少のミスは大目に見てくださるようお願いします。
 いつ終わるとも知れない作業を続けていると、まとめあげるまでに自分の命が続くのかという心配も湧いてきます。重大な持病があるわけではありませんが、人の命ははかないものです。
 そこで考えたことは、ブログを開設してそこに記録し続けていけば、刊行にたどり着けなかった場合でも資料が残る、他の人に利用していただける方途はある、ということでした。ブログの連載は、2009年(平成21年)7月8日に始めて、改訂作業のありのままもブログに載せました。連載した記事は2605回になりました。ただし、これだけの回数のブログ記事を通覧していただくことは、実際には無理なことです。
 ブログはそのまま公開し続けていますが、本書は、ブログの最終原稿のままではなく、さらに加除・修正を加えた内容になっています。
 ともかくも、出版物の形で残せることになりました。後の時代の人が行う方言研究の資料としての働きを果たせたら嬉しいと思います。
 本書を刊行する2019年は、1919年(大正8年)に明石市が市制を施行してからちょうど100年になります。この100年の間に、地域の言葉の様子は大きな変化を遂げてきたはずです。出版していただく武蔵野書院も同じ年の創業で、今年が100年にあたります。奇しくも一致しましたが、そのようなときに出版できることを嬉しく思います。
本書は、現時点ですぐさま方言研究に役立つものであるかどうかはわかりません。けれども、何年か後、何十年か後の方言研究者が、明石の俚言の姿、関西の共通語の姿、全国共通語の姿を調べようとするときに、資料として役立つものとなることを願って編集しました。後の時代の研究者が、本書から資料的価値を見出していただけるならば、筆者としてこれに過ぎる喜びはありません。
 わが子、わが孫、そして明石や近隣にお住まいの方々すべてに向けて、このような記録を残しておきたいという気持ちをこめて本書を編集しました。

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2019年9月 7日 (土)

明石日常生活語辞典の刊行について(7)

刊行の経緯について述べます(その1)


 私は大学の卒業論文で「明石方言の語法」をテーマに選び、それ以来、方言への関心をずっと持ち続けてきました。はじめの頃は語法(文法)などに関心を持ち、研究発表などもしましたが、次第に語彙(単語)への関心が強まってきました。
 大学で指導していただいた和田實先生はアクセント研究で知られた方ですが、先生は「歳をとるに従って、方言研究は語法から語彙に移るようになる」とおっしゃっていましたが、私はまさに、そういう道のりを進みました。
 パソコンを導入する前は、気づいた単語は用例とともに、当時広く行われていたB6判カードを作って、ひとつずつ記録していきました。
 パソコンを使い始めたのは、ジャストシステムのワープロ・ソフト「太郎」がバージョンアップされて「一太郎」として発売された頃です。NECのVM2というデスクトップが伴侶でした。この段階から、カードを取り止めて、パソコン入力によって資料を蓄積することにしました。
 文化庁の各地方言収集緊急調査の兵庫県調査員を務めたのは昭和の終わり頃でしたが、私が担当した神戸市の調査をもとにした『神戸・和田岬の言葉』を刊行したのは1990年(平成2年)でした。
 それ以後は明石の方言集をまとめることが大きなテーマになりましたが、仕事が管理職になったりして、集中して作業を続けることが出来ないような状況も続きました。高等学校を退職した後の10年間は大学教育に携わりました。70歳を迎えて、やっと明石方言に取り組む時間が、まとまって得られるようになりました。
 その途中のそれぞれの段階で、思い出したように明石方言に取り組みましたが、辞典の本文の記述の仕方について、二転、三転、その方向性を変えましたから、その度に全体を読み返して、多くの時間を費やすような結果になりました。
 最終的に定めた記述の仕方は、「『日常生活語辞典』の編纂と、その記述の方法 -兵庫県明石方言を例にして-」と題して、2017年(平成29年)の日本方言研究会第104回研究発表会で発表させていただきました。その後も、記述の仕方を一部、手直しして、やっと最終原稿をまとめることができました。思えば、遅々とした歩みであったように思います。

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2019年9月 6日 (金)

明石日常生活語辞典の刊行について(6)

「本書の特長」をそのまま伝えます


 「明石日常生活語辞典」の出版元・武蔵野書院が作成したパンフレットに「本書の特長」を記しています。これまでに述べたことと重なる部分はありますが、箇条書きでパンフレットに書いていることを引用します。

●この辞典は、明石で使っている言葉について、俚言、関西共通語、全国共通語の区別なく、すべてを集めました。
●この辞典は、著者の祖父母の世代、父母の世代、自分たちの世代の3世代が使っていた言葉、あるいは、使っている言葉を集めました。
●この辞典は、話し言葉の要素が強いとして国語辞典で採り上げていない言葉や、発音の変化した(訛った)言葉も多く取り上げています。
●この辞典の骨子は、言葉の意味の記述と、その言葉を使った用例の提示と、用例の文法的分析です。意味は、言葉の置き換えに終わらず、できるだけ詳しく説明しています。
●すべての言葉について用例を記しています。用例は断片的な表現でなく、文の形で書いています。著者は生まれてから現在に至るまで同じところに住んでおり、明石の言葉の調査者(研究者)の立場とともに、被調査者(話者)の立場も備えていますので、実際の生活から採集した用例とともに、内省に基づいて作成した用例も加えています。
●用例は文節に分けるとともに、さらに単語に分けて記しています。
●この辞典は俚言と共通語の区別をすることなく、言葉と言葉を参照することを随所で行っています。

 パンフレットでは、以上の他に、「見出し語」「他の見出し語との対応」「漢字表記」「品詞など」「意味」「用例」「写真」について、この辞典のことについて説明をしています。ただし、それらについては引用しないことにします。

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