言葉の移りゆき(303)
「卵のことば」を無理やりに孵化させない
国語辞典の編纂者は、新しい言葉を見つけて、それを辞典に載せることを任務のひとつと考えておられるようです。それを否定するつもりはありませんが、根掘り葉掘り探す必要はない、と私は考えます。
こんな文章がありました。
〈のせもの別金〉。「のせもの」は分かります。爪に載せる飾りのことでしょう。見逃せないのは、その後の「別金」という言い方です。
文脈から考えると「別料金」のことらしい。でも、「別料金」をこう略すのを見たことがありません。
ツイッターの状況を探ると、〈別金発生する〉〈ドリンク別金〉など、まれに使われる程度です。将来広まるかもしれないが、目下の勢力はごく弱いという印象です。
「別金」は、まだ日本語にデビューしたとは言えない、卵のことばです。不愉快に思う人もいるでしょうが、私は、こういうことばを見つけるのも楽しみなのです。
(朝日新聞・大阪本社発行、2018年9月22日・朝刊、be3ページ、「街のB級言葉図鑑」、飯間浩明)
「別料金」という、たった3文字を2文字に減らすことには、ほとんど意味や価値はありません。けれども「別料金」を略すならば、「別金」ではなく「別料」でしょう。ツイッターなどの使用例を探し出して「別金」を認めようとするような努力をする必要はありません。むしろ「別料」を探して、その方が望ましいと書くべきでしょう。
この頃、いぶかしく思うことは、日常生活の話し言葉などから使用例を探すことよりも、ツイッターのような世界からの使用例を優先しているような傾向があることです。新聞記事にもその傾向があります。国語辞典の編纂においても、それが正道なのでしょうか。
私は方言を調べています。方言は、人々の言葉の有様に耳を傾けれなければ研究は始まりません。パソコンを相手にしていても、方言の実態はつかめません。広く日本語全体のことを考えても、事情は同じであると考えています。狭い世界で書かれた〈書き言葉〉よりも、生活の中に現れている〈話し言葉〉を大切に考えるべきでしょう。
話し言葉の中に「べつきん(べっきん)」という言葉が定着したと思ったら、国語辞典に載せてもよいでしょう。
日常生活に耳を傾けるよりも、パソコンを叩いている方が、うんと安易に言葉を探し出せるでしょう。簡単に検索できますから、この上なくラクです。町中の言葉の採集も、似たような傾向を持っています。
けれども、よく考えてみてください。ツイッターや看板などに現れる言葉は、発信者(書く人)の立場で作っている言葉です。受信者(見る人)が「別金」などという言葉を認めたく思っているかどうかは、まったく別問題です。言葉はコミュニケーションの用具ですから、言葉の受信者もいっしょになってやりとりをするようになって、はじめて一人前の言葉になるのです。ツイッターや看板に何万例が現れても、一般の人が広く口にしなければ一方通行でしかありません。
「将来広まるかもしれないが、目下の勢力はごく弱いという印象です」と書きながらも、それを紹介するということは、そうなることを期待しているという姿勢が現れています。
「卵のことば」は、日本語の社会の中でしっかりと孵化して一人歩きをしたときに国語辞典に載せればよいでしょう。編纂者としては少しでも早く孵化してほしいと願っておられる気持ちはわかりますが、孵化を助けるような文章を書く必要はありません。
「街のB級言葉図鑑」で採り上げられる言葉が、趣味的な傾向を見せてきていることを憂慮しています。時には、言葉の採集を休んで、そのあたりについての筆者の見解を示してほしいと思います。
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